妻を亡くしましてねと作曲家

つぶやき

 昨日1週間ぶりに口腔外科を再受診した。
 抗生剤によるアレルギー経験があるため薬の選択は慎重にする、ということだったが、1週間かけて調査した上での薬というのは、以前から行きつけの歯医者が出す薬と同じであった。調査したとも思えない。
 この医師、正直な人なのか、いい加減な人なのか、患者が一番迷うタイプである。

 森繁久彌さんは2009年に96歳で亡くなられている。言うまでもないが一世を風靡したというか、時代を代表したというか、とにかく天才とまで言われた人である。

 寅さん映画に出演した時の森繁さんを思い出した。
 どこか地方の、海に近い村に住んでいる孤独な老人の役だった。

 会話の相手は寅さんだったと思うが、来客のための茶を用意しながら「妻を亡くしましてね」というセリフをポツリと言う。

 いろいろな意味を含むセリフであるが、しかしこの時の森繁さんは下手だった。手の内が見え見えなのである。

 このようなセリフを言わせたら森繁さんはうまいが、しかしこの時の森繁さんの演技は使い古したものだった。見え透いて、妻を亡くした寂しさが伝わらない。

 監督は山田洋次さんだと思うが、天下の森繁さん相手に演技指導ができなかったのかもしれない。

 妻に浮気がばれて、それを弁解する演技には森繁さんらしさが出るが、妻を亡くした演技をするのは苦手なようだ。

 20歳くらいの時だと思うが、上野の文化会館で行われた現代音楽祭なる催しを聴きに行ったことがある。

 唯一曲名を覚えているのは黛敏郎さんの呪(しゅと読むらしい)というオーケストラのための作品である。

 初演であるが、何度も聞いた気がした。まったくつまらない曲であった。

 私はこの曲にある印象を持った。それが後日新聞の音楽批評欄に乗ったある評論家の意見と同じであったのである。「作曲しているペンの動きが手に取るように分かる」

 黛さんは忙しい人であったから、その辺のもので間に合わせたのであろう。

 立松和平という作家がいた。私と同じ年であるが13年前に62歳で亡くなられている。

 地方訛りのしゃべり方に好感が持てた。ひところはずいぶんテレビなどで見かけたから売れっ子作家ということになる。

 彼に盗作事件が起きた。あんな真面目そうな人がなぜ、という感じだったが事実だったらしい。それからほとんどテレビで見かけることはなくなった。

 生前友人に「テレビに出るときはわざと訛りのある話し方をするのだ。そうしないと仕事がこないのだ」と説明したという。

 みんな演出はしていないようで、なにか演出しているものである。
 朴訥は装うものではない。朴訥を装うから余計に評判を落としてしまった。

 チャットGPTによるブログの作成をネットで薦める会社がある。
 文章力がなくてもネタがなくてもブログが作れますと歌っている。時間や労力を短縮して収益を上げることができます、とも書いてある。

 私はブログによる収益というのがよく分からない。広告のことだろうと思うが、なんでも人の目に触れるところに広告はするものであるから、読者の多いブログはそういうことになるということだろう。

ブ ログの案内ページのようなところにEDの治療薬の動画とか卑猥なイラストが掲載されている。これを見るたびにブログを書く意欲が失われていく。

 しかし自分で書かなくてブログと言えるのだろうか。

 学校の国語の時間に有名な作家の文章を習うのは、言ってみれば定型を身に着けることである。学習とは真似ることであった。

 しかしブログは心のルバート(揺れ動き)である。そこまでAIにできるはずはない。そう思ってブログを綴っているが、ひょっとするとそこまでできているのかもしれない。 (了)

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