人相というものはその人の社会的な立場や心持によって変わるもの。映画俳優も役柄次第で正義の味方にも見えるし、悪人にも見える。どういう役柄でいるか、ということが人生において大事である。
このところ女性市長とか女性議員が話題になって、テレビで拝見する機会が多いが、やはりその人の性格とか人間性というものは顔に現れてしまう。顔というのは内心の鏡とも言う。
と言えば、真っ先に伊東市の田久保市長ということになるが、この人はやることのえげつなさと人相がピッタリ一致している人である。珍しいことではなく、最近こういう人が多い。
市長選での、映画スターのようなポスターを拝見したが、あの顔は一筋縄ではいかない顔である。どう修正すればいいか、ということを彼女は知っている。率直に言って、彼女の今までの虚飾の人生がそのまま写っている顔である。
人相について語りたい女性議員は特に自民党にたくさんいるが、ここもやはり三原じゅん子氏に代表してもらうことにする。さらにもう一人。現在議員ではないが、かつて議員であった杉田水脈氏。
お二人とも女性政治家はワルでなければ務まらないという人相をしている。どう見ても堅気の衆とは思えない。
三原じゅん子氏に関連して一人気になっている人がいる。今回の参院選で参政党から立候補して当選したさやという女性である。本名を公表したらしいがまだ私は知らない。
三原じゅん子氏に関連してというのは、さや氏が三原氏と同じように、意図的に右寄りの発言をすることである。
参政党の人なのだから、そういう発言をするのは当然であるが、私が言いたいのはそういうことではない。
三原じゅん子氏には国会における「八紘一宇」の発言があるが、彼女がこの言葉を歴史的意味においてどこまで理解していたかは不明である。
当時の安倍首相におもねるための言葉ではないかと指摘する向きが多いが、私もそう思う。
さや氏は選挙期間中、核武装に関する発言を行い、徴兵制を行うべきだというような発言もしている。但し徴兵制の発言は参政党に入党する前のことらしい。
さや氏がどんな経歴の持ち主なのかはネットを見れば大体のことは分かるが、経歴のどの部分でこのような極右の政治信条を持ったのかは分からない。
さや氏は三原氏と同じく議員になりたいがため、党首に対するおもねる意図があって徴兵制などを口にしたのではないか、というのが私の推測である。
この人は極右がなんであるかも理解していないかもしれない。口伝えに覚えたことをただしゃべっているとしか思えないふしがある。この点、さや氏と三原氏はよく似ているのである。
ここでのテーマは人相であった。さや氏は三原氏や杉田氏と違って実に爽やかな人相である。右翼政党はどうも胡散臭いネガティブな部分を大衆に感じさせる。
それを払拭するには顔に険のない、明るい人相の女性がいいと、極右政党である参政党は考えたのではないだろうか。だから私はさや氏の爽やかな笑顔を信用していない。
女性政治家の話を続けるが、女性政治家の人相でブログを一つ書こうと思ったのは、田久保市長でもさや氏でもなく、共産党の田村智子委員長を知ってからのことである。
別に田村氏が特別ということではなく、田村氏が実に共産党の女性党員という人相をしているからというだけのことである。
私の通っていた大学の夜間部には共産党の党員がたくさんいた。田村氏と同じような人相の女性が何人もいたから懐かしい顔なのである。念のため私は共産党員ではない。
党と女性議員の人相が合っていると思われる政党には他に公明党がある。
最近では浜四津敏子氏。古くは渡辺通子、多田時子氏。
こちらは共産党とは異なり皆さん着飾って綺麗である。同じようなスーツを着込み、ヘヤースタイルも皆同じ創価学会スタイル。学会女子部の幹部でもあるから、いい母であり、いい妻であることを池田大作氏から指導されていた。
女性政治家の人相。極めつけはやはり広瀬めぐみ氏ではないだろうか。赤いベンツで歌舞伎町のラブホテル。それに政治資金の盗用で有罪。どこかの尼寺に入って、男っ気のないところで修行しなければあの人相は治らないだろう。
三原氏や杉田氏は「険」であったが、この人の人相は「淫」であった。
こういう人のことで我がブログを終わりたくない。
社民党の福島瑞穂氏。「険」も「淫」も「嘘」もないような人相であるが、ジリ貧党の党首であることが似合う人相になってしまった。女性としてなにより気の毒なことである。
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