あまりいい話題ではないが、「この人こんなに美人だったっけ」、と思うことが最近テレビを見ていてよくある。
美人という言葉は人に対する評価であるからあまりいい言葉使いではない。
あまり口にしてはいけないのだろうが、突然美人になるとびっくりする、ということである。
学者さんや評論家である女性は、あまり顔の作りにこだわらないほうが、話す内容に真実味を感じるものである。
ありのままがいいと思うのだが、女性としては作ってでも美しくありたい、ということなのだろう。
東大出の精神科医というコメンテーターの女性は御年49歳である。
今の時代では女盛りという年齢かもしれない。いろいろためになる本を出されているようだが、このところ顔が変わったと思うのである。
顔が変わったと思われるときから、学者としての精彩を欠くように見えるが、女盛りの迷いのようなものが感じられる。テレビで、男性関係の豊富なタレントという人と痴話をしていたが、実に生き生きとしていた。
「ちょっと危なっかしいな」、と私には見える。週刊誌のネタにならなければいいが、と楽しみにもしている。
美人コンテストというものは女性蔑視としてひと頃批判されたものであるが、最近はどうなのだろうか。
女性を水着姿にして「あれがいいじゃないか」というものである。
しかし美人コンテストというものは女性が、「水着でもなんでもいいから出たい」というものでもある。女性蔑視になるのか、本人がそうしたいと言うのだから、どうのこうのできるものでもない。
女性への侮辱と言いながら皆さんビキニの水着で嬉しそうに参加している。女性は裸になることに特別の喜びを感じるものなのかもしれない。
あまり美しくはない女性が、コンテスト反対、女性蔑視を許すな、と言ってもあまり訴えるものがない。
夜11時を過ぎての民放のニュース番組は3局とも女性がニュースキャスターである。10時からの番組は男性がメインのキャスターである。
ニュースは男性がいいと思っていたがどうも話が重く理屈っぽくなる。寝る前のニュースはあまり気持ちの負担にならないほうがいい。
では女子アナはいいかというと、みなさん美人すぎて心安らかな眠りにはふさわしくない。
硬派なニュース番組は筑紫哲也さんの時に終わっている。久米宏さんにしても古館伊知郎さんにしてもエンターテイナーであって、ジャーナリストではなかった。
女性キャスタ―にとって大事なことは、ニュースを読むことではなくテレビ映りである。美しくいたいということは、男の想像を超えた凄まじい執念のようである。
男たちに見てもらいたいということもあるのだろうが、やはり自己陶酔のようだ。(了)
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