昨年1月に夫を亡くされたご婦人をレストランのランチに誘った。
ご主人共ごく親しいという間柄ではないが、以前何度が我が家で食事を一緒にしたことがあることからすれば、今の時代「親しい間柄」ということになるのかもしれない。
奥さんの気分転換になれば、という気持ちから食事に誘ったということになるが、気分転換ということがなかなか難しい。
家内には昨年から、我が家に呼ぶとか何かしてあげたら、と言ってきたが、同じ女性として何か思うところがあるのか、私の提案には乗り気ではなかった。他人には余計なことをするものではないのかもしれない。
レストランに向かう車中、奥さんは堰を切ったようにしゃべっていた。
普段、一言も話すこともなく過ごす日々が多いという話は聞いていた。
レストランでもよくしゃべっていた。奥さんのおしゃべりを聞くのがランチに誘った目的でもある。難聴の私にはよく聞き取れないが、聞き上手の家内のお陰で話は盛り上がった。
物事がよく判っている人である。私たち夫婦が食事に誘った意味もよく分かっているはずである。
私が思っていた通りの食事の時間が終わり、紅葉の過ぎた長い並木道を走りながら、ご主人の思い出話をした。
人と変に協調することもなく、自分の個性を通したご主人であった。
若い頃、「私が17、主人が30才の時の結婚でした」と近所の人に言ったら、「あなたは不良だったの」と教師経験のあるおばさんに言われたと楽しそうに話しをしていた。
ご主人は高校生の彼女を見染めたらしい。卒業と同時の結婚であったようだ。こだわりの人生であったご主人にはふさわしい話である。
近所の知人の死と残された奥さん。どう接すればいいのか。
何ごともなかったかのように接するわけにもいかず、同情を表すわけにもいかない。
他人がどう接してくれたら一番うれしいのか。配偶者を失ってみなければ分からないことである。
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