大学夜間部が無くなった

つぶやき

 ネットに65歳で定年退職をして、高額な退職金と貯えをもって第2の人生をはじめた人と、63歳で退職し、その3年前に妻を亡くしたことから孤独な第2の人生を歩まなければならない人の話が同時に掲載されていた。

 前者の人は奥さんも健在だが、現役時代の生活のレベルダウンができず、70代を過ぎて老後資金が不安になる。

 後者の人はひとり暮らしにいろいろ工夫をして、妻を亡くした寂しさを乗り越え、80歳を過ぎても充実した人生を送っている。

 人生いろんな局面を迎えて生きて、そして終わっていく。

 義兄は66蔵のとき、続けて両親を見送り、75歳のとき同い年の妻を亡くし、それから2年程広い家での一人暮らしの生活をしていた。
 
 寂しいとか、孤独だとかいう話は聞いたことがなかったが、みんな元気であの家で生活していた頃を想えば、時間とはむごいものである。

 先日いつもの深夜ラジオで「海は恋している」という昔のフォークソングを聴いた。曲の半ばにセリフがある。

 「海も失恋すんのかなあ 涙をいっぱいためるかなあ だけどあふれだしたらこまっちゃうなあ だって俺泳げないんだもん」

 このセリフが61歳で死んだ学生時代の同級生の声にそっくりなのである。よせばいいのにと思うが、奥さんにメールを入れた。

 彼の命日には何度か供え物を送っていた。それがよかったのか、愛想のいい返信を送ってきた。

 「いつまでも主人のことを思っていただいてありがとうございます。さっそくユーチューブで聴きましたが、主人はあんなにいい声ではありませんでした」

 「いやスマホで聞くから分からない。ちゃんとした装置で聴けばそっくりなことが分かりますよ」と返信しようと思ったがやめた。

 大学の二部。夜間大学と言われた学部を設置している大学はほとんどなくなってしまったようだ。

 日本が発展していく時代であったから夜間大学はあった。
 東大を退官した著名な教授が、あまり程度のよくない私大の教授になり、夜間部の講義も受け持っていた。

 東大生に比べれば、講義を聞く私大の学生のレベルは例えようもなく低い。しかしその教授の講義にはいつも情熱と感動があった。

 夜間大学の先生には、「君たちに言ってもしょうがないが」という言葉を口にする人が何人もいた。

 確かにそのとおりであるが、情熱をもって語る教授の講義には、分からなくても心に深く刻まれるものがある。

 先生とは知識を教えるものであるが、それだけではロボット同じ。

 知識を教えると同時に、生きていくことの感動を伝えるものでなければと思う。レベルの低い夜間大学生でも感動はするのである。

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