暑い日が続くが、穏やかな夏日和と言うべきであろう。台風もなく大地震もなく富士山噴火もない。暑いことなどいくらでも我慢できる。
歳をとればあまり汗をかくこともないが、家にいるだけでじわっと汗をかけば新陳代謝、サウナに行く必要がない。猛暑が悪いとは限らない。
暑い夏が終わらないということはない。そのうち風が秋を連れてくる。
人生の思い出は夏にある。「夏の思い出」という歌はあるが他の季節に、思い出を付した歌はない。
夏の思い出には人がいて欲しい。
江間章子作詞、中田喜直作曲という「夏の思い出」には人がいない。聴いていて心に響くものがないのは、尾瀬の景色だけであるからである。
日野てる子さんが歌った歌謡曲「夏の日の思い出」には人の気持ちがある。
『夏の思い出恋しくて ただひとりだけで来てみたのよ
冬の浜辺は淋しくて 寄せる波だけが騒いでた』
しかし、夏の思い出は冬に思い出してはいけない。つらさがつのる。
夏の思い出は秋に悩み、そして慈しむものである。
夏の日の感傷は年寄りだけのことである。感傷とは思い出が熟成したものであるから若者にはない。
過ぎ去りし青春は戻ってこないが、過ぎ去りし青春は感傷となって人生にいつも現れる。あの青春は真実であった。
有難いことにまだ余命宣告は受けていない。
76歳、令和5年の夏。がんの再発・転移に気を取られ、頚髄症の後遺症で足を取られる余生であるがまだ肌艶はいい。
先日孫の高校同級生に、「めっちゃイケメン」と言われた。お世辞とは思えない。優秀な高校の生徒である。若い者にも私の良さが判る。まだまだ夏の日の感傷に浸っているような年寄りではない。(了)
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