夏が終わる

つぶやき

 1月の大腸ポリープ切除に始まり、喉頭癌の発症、検査検査の日々、喉頭がんの手術、頚椎症性脊髄症の手術、リハビリ、心療内科の通院、再度の大腸ポリープの切除。

 この8カ月近く、過ぎてしまえばさほど負担とは思わないが、結構忙しい日々を送っていたのだなと思う。家族にも心配をかけたことだろう。

 先週のPET-CTの診断から今月は病院に行く予定がない。「何もないのですね」と妻が言う。なんの予定もないことに安心を感じているのかもしれない。

 お盆休みに娘家族と我が家で会食をした。私の1回目の快気祝いだという。コロナにより会食は避けていたが、感染者が爆発的に増えている今頃我が家で食事をしたいという。コロナにみんな慣れてしまったようだ。

 娘家族は夫の海外赴任により3年間ロンドンにいたがこの3月に帰国した。コロナがなければ4月には帰国祝いの大宴会がされていたのだが、私の病気もあり、なかなかゆっくり会うことはできなかった。

 孫はロンドンに向かうとき小学6年生であった。今男子高校の1年生となり、ニキビが満開である。

 かわいい子であった。私を好いていてくれた。私の布団にもぐりこみ、背中をさするうち寝入ってしまうあの幼な子は、私と変わらぬ背の高さになっていた。

 いつ見ても、泣いても笑っても、風呂に入っても、ころんでも何をしても可愛かった孫が、今まで見たことのない考え深げな表情をするようになっていた。「そうかあの子はもういないのか」孫の成長を喜ぶべきであろうが、私はただただ寂しい。

 頚椎症性脊髄症の手術を5月にしたのに相変わらず歩けない。歩きにくいというべきか。リハビリの医師は、長年脊髄を圧迫していたのであるからそう簡単に歩けるようにはならない。そのままかもしれない、と言う。

 腰には狭窄症がある。最初に整形外科を訪ねたのは腰の痛みからであった。

 その病院には著名な外科医が在籍している。幸いその医師の診断を受けることができた。

 最初は腰から手術をするということだったが、歩行困難が進み、医師はその原因を首にあると判断されたのか、頚椎症の手術を先にすることになった。

 首の手術後の期間経過を考慮されているのか分からないが、腰の手術に関しては慎重な診断をされている。脊髄はそれだけ微妙な構造なのかもしれない。9月の定期診断の時MRIを受ける。前回のMRIは昨年の3月であった。

 首の手術を経験したためか仮に腰の手術をするようになっても不安はない。手術の前後の画像を見てみると、砂時計にようにくびれていた首の脊髄が、すんなりすっきり直線状になっている。医師を信頼して気長に回復することを待つしかない。

 家族がいなければ、病気になって入院だなんだかんだというわずらわしい手続きはすべて病人本人がしなければならない。一人暮らしの友人を思う。病気になったら大変だよ。

 家族はありがたい。あの作家のように家族を失うことがあれば寂しさに私は耐えられないであろう。
 
 私は団塊の世代の初年度である。これから高齢化社会が本格的になる。時代はますます高齢者には住みにくい社会になっているように思う。

 書類の字が小さい。事細かな取り決めがくどすぎて分かりにくい。パソコンやスマホを使いこなせなければ生活できないようになっていく。

 高齢者に対する配慮もあるのだろうが、効率を優先する社会、そうは高齢者に優しくはできないであろう。

 庭に蒔いたこともないヒマワリが満開を過ぎた。枝分かれして複数の花をつけることが珍しいのか、通りすがりの人が種を欲しいという。
 夏ももう終わる。

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