今日は以前住んでいたマンションの夏祭りの日であるらしい。
今から45年前、私たち家族は東京からこの地に引っ越ししてきた。娘が2歳半、息子は1歳であった。
引っ越ししてきたその日から、娘たちが敷地内の公園で歓声を上げて遊び回っていたことを昨日のことのように思い出す。
この祭りは私が提案し、始めたものである。というのはマンションの分譲会社も管理会社も犯罪に関わるような体質を持った業者であったからである。
夏祭りとマンション会社等の体質。その関係は次のようなことである。
当時のマンション管理会社というのは大したノウハウもなく、ただ管理費と修繕積立金の流用しか考えていないようなところが多かった。
このマンションの管理会社というのは、まさにそのことを目的に設立したような会社で、分譲した会社の関係者の妻が社長で、管理人用の住居には、分譲会社の社長の愛人の住まいにするようになっていた。
信じられない話であるが、こんなことを考えるような人たちが始めた不動産会社や管理会社であったのである。今でいえばビッグモーターである。
建物も徹底した手抜き工事が行われた。あまりに部材が悪すぎる。
建設会社の担当者に尋ねてみると、当初の予算からいざ着工というときには徹底的に値引きが要求されたらしい。
その金はどこに行ったのか。これまた信じられないようなことが建築という業界には存在する。詳述は避けた方がいい。
正義感によるのではないが、この管理会社を何とかしなければならない。
この会社を首にして、きちんとした管理会社と契約するか、自主管理にしなければと考えた。
しかし私一人が動いたところで逆に不審に思われるだけである。
事実入居後顔見知りになった何人かの人に声をかけたが、誰一人関心を持つ人はいなかった。
私がこのことで何か特定の利益を得ようとしているのではないかと疑う人もいた。
入居者たちは何も知らない。私がこのマンションの分譲会社や管理会社の実態を知っているのは、私が建築会社に勤めていて、そのような悪質な不動産会社や管理会社がやるであろうことが分かっていたからである。
いきなり管理会社を首にしたいと提案したら入居者は不安になる。かえって人は私に対する不信の念を持つようになる。
私はまず自治会を作ることにした。そしてそれから管理組合を作ることにした。
入居者は自治会と管理組合の違いが分からない。
自治会は地域社会の交流のための組織。管理組合はマンションの資産価値を高めるための組織。こういう説明をすると入居者は理解する。
「資産価値を高める」という言葉に納得するらしい。今は新築入居と同時に分譲会社が管理組合を作るが、当時は入居者が主体となって管理組合を作ることは珍しいことであった。
自治会を作ると言っても、「公団住宅でもあるまいし、せっかくマンションを買ったのに他人などとは関わりたくない」という意見が多かった。高級マンションならいざ知らず、偉そうなことを言うな、と思ったが黙っていた。
そこで私は夏祭りを提案し、いわば強引にそしてさりげなく実行した。
何週間もかけて準備をした。子供用のたる神輿、山車を作り、夏祭りの雰囲気が出るように各階の入り口に提灯をぶら下げた。
焼き鳥、金魚すくい、ヨウヨウ、綿菓子、おもちゃなどの夜店を作り、盆踊りの舞台も作った。
最初3人くらいで始めた準備作業であったが、土日ごとに協力者が増え、開催日の土曜日の週は会社を休んで手伝う人もいた。
夏祭りの当日は大変な盛況であった。みんな懐かしいのか珍しいのか、人出は絶えることがなかった。いつまでも盆踊りの曲が鳴り響き、私は生ビールに腰を取られた。
夏祭りにより顔見知りの人が多くなった。入居者の利益になる管理を実現するため私は当初の計画を推し進めることにした。
入居して2年目に自治会を作り、3年目に管理組合の設立総会を開いた。
管理会社に契約解除を通告し、同時に積立金等の返還を求めた。
300世帯に近い入居者の数である。積立金だけでも当時5、600万円くらい貯まっていた。
思った通り積立金を流用していて返還できないという。半年の猶予を与え、返還できないときは横領で告発すると通知した。
それから自主管理に移行し、社長の愛人を追い出し、管理人夫婦を管理組合として新たに雇い入れ、長期修繕計画など整備し、将来の大規模修繕に対応できるような組織作りを行った。
夏祭りを通じて得た人とのつながりで自治会、管理組合を設立し、所期の目的を達することができた。
以後夏祭りは40年も続いている。私は入居20年目に2度目の管理組合理事長を務めたのち近所に転居した。
私の行動に対して2つの評価がある。一つは、私のお陰でマンション管理に安心できる。管理費や修繕積立金なども、管理会社の儲けのないことから大きなお金が貯まる。大変お世話になった。という評価。
もう一つは、私の好きなように勝手にこのマンションの管理について決めてしまった。やりすぎではないか。なにかどこからかお金でも貰っていたのではないか。という評価。
手前みそになってしまうかもしれないが、人と一緒に仕事をするときはあまり手際よくするものではない。のろまぐらいがちょうどいい。うまくやりすぎると人は、なにか騙されたのではないか、という気になるものである。
祭りの音が聞こえる。お祭りは遠くにありて思うものである。(了)
コメント