朝9時に墓参りのため出かけた。昨日から秋風が吹き、日差しはあっても今までのような暑さはない。季節は突然変わるものになってしまった。
母の墓は船橋の市中にあり、義父母の墓は習志野の海沿いにある。
何年かぶりに海を見た。東京湾の海風が心地いい。
墓参りを考えた。墓には骨しかない。火葬は骨が残るように焼却温度を設定するらしい。温度が高ければ骨も消失してしまう。
そんなことを知ると、墓とはなんなのかという気になる。
墓参りは、生きている者にとってのものである。
墓参りをしながら、母や義父母の遺品が気になった。墓参りより、親たちが生前慈しんできた物の思い出話をした方が、より供養になるのではないか。
無事に往復5時間のドライブを終え、夕方テレビの画面に衝撃を受けた。能登の惨状があまりにもひどい。
これほどまでの大雨による土砂災害はない。山が災害をもたらしている。
人々に幸をおくる山が崩れ、人々の生活を無にしている。
空からの映像を見れば、日本の地形における人間の生活地が、山と海との境のほんのわずかな平地でしかないことに驚く。
どこの地も平地と言えるほどのものではなく、急斜面の山を背にして、川沿いに位置している。
奥さんがいまだ行方不明、中学生の娘さんの靴が見つかったが連絡が取れないと、土砂に埋もれた家の前で悲痛な姿の人を写して、テレビの画像は「買い取りならふくちゃんだね、不動産のことなら〇〇不動産へ、腸はとても長いの」などと一瞬に切り替わった。
東京23区、特に千代田区あたりに大きな災害が起きなければ、この国は人々の悲しみが分からない国になっている。
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