墓を買わねば

つぶやき

 墓を買わなければ、と思っている。私と女房が入る墓である。
 20ほど前、義父が墓を買わなくては言っていたが、まだ墓を買うには早いですよ、と酒の席で話をしたことがある。
 その墓義父母が永遠の眠りについて13年が過ぎた。
 早くも遅くもなく、決まり事のように月日は人の命連れていってしまう。そうであるから墓を買わねば、と思う。
 
 近所の寺院が墓の販売をしている。我が家から車で行けば5分ほど。歩けば20分くらいのところにある。
 一度墓の販売というものに行ってみようと思った。
 近くて便利と思ったが、誰のために便利なのかと、はたと考えた。

 市中の墓がいいのか。少し地方でも風光明媚なところがいいのか。樹木葬でもいいじゃないか、公営霊園の方が管理費が安い。
 いろいろ迷うことがあるが、墓に入る時は何もらない。

 普通と言われる墓石を建てて200万から300万。高いのか安いのか見当がつかない。
 販売員がいろいろ説明をしてくれるが、もちろん石屋のセールスマン。日本の墓地は石屋さん牛耳っているようなものである

 いろいろ褒められたり、おだてられたりしたが、墓を買おうとしている者でもおだてられれば悪い気はしない。墓の販売は仏事ではなく商売であった
 しかしやはり墓を買うというのは車を買うのとは違って楽しくない。義務感と言うのか、そんなことで物を買うのは墓だけかもしれない。

 最近は法事というものが少なくなってお寺さんも経営が大変らしい。
 子供の頃法事がよくあった。法事と言えば足のしびれを思い出す。
 ちょっとした料理屋には必ず「法事にご利用ください」という案内書が張ってあったものである。団体客が入らなければ料理屋は儲からない。

 この寺の住職は尼僧さんであった。年齢は私より1年上だが学年は同じ。かなり高齢である。浮世の生活を経て36才で出家されている。
 寺の住職募集に応募して採用されたらしい。お寺の住職にもそんなことがあるのかと意外であったが、住職とは寺の所有者ではない。前任者がいなくなれば募集ということにならざるを得ない。

 いつまでに買わなければいけないという物ではないが、墓を買うというのはやはり普通のことではない。
 義父は笑いながら言っていたが、笑って話すようなことである。寿命が来た後のことに大きな金をかけるのだから、真剣に考えたらやりきれない。()

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