何を考えて墓を買ったらいいのか。昨日も2ヵ所ほど墓地を訪ねた。
骨壷の置き場所を決めなければならないから墓が必要になるのだが、その墓が将来面倒を引き起こすことになる。それも墓を買った者の問題ではなく、子や孫の代での問題となってしまう。そのことも考えなければならない。
子供のいない叔母が亡くなって、管理とか墓じまいなど、墓について不愉快な思いをした。死んだ人の問題ではない。生きている人が解決しなければならないことである。死んで他人に迷惑をかけてはいけないとつくづく思ったが、死んだ人を追っかけて行って文句を言うわけにもいかない。
墓といえば墓石の林立する墓地を思うが、今は大分様子が違う。昔からの墓のことを一般墓地という。その他に永代供養墓、納骨堂、樹木葬と言った埋葬の仕方がある。
墓じまいというのは一般墓地のことである。いろいろな埋葬方法があるのは、墓じまいを避けるためのようである。昔からある墓地には一般墓地以外のものは無かった。
墓じまいと言う言葉が使われ始めてまだ7、8年のことらしい。それまで墓処分と言う言葉は石屋仲間にはあったが、どこかの石材店の社長が何かのことで思いついて言い出したこととされている。
空き家問題がここ何年か前から問題にされているが、空き墓問題も結構深刻な問題なのではないだろうか。
空き家問題は、固定資産税等の未納とか建物老朽による危険といったお役所にとって迷惑な話であるが、空き墓問題は、管理費の未納、承継者の不在、墓の放置など、お寺さんや墓園の経営そのものに影響するものである。
叔母の時の墓じまいの費用は150万円と聞いている。墓を撤去するだけでこの金額。多分正確な根拠もないものであろうから、この先どんどん値上がりするだろう。墓じまいを墓業界の大きな収入源にしようとする意図が見える。
子供が将来親と一緒の墓に入ることを望むかと言えば、どうもそうならないような気がする。そうであるなら管理費の負担や墓じまいの費用を子供たちに負担させることは忍びない。なにがしかのお金を相続したとしても、そんなことにお金を回したくはないだろう。
永代供養や樹木葬ではなく、昔ながらの墓石にしたいという気はあるが、死んでから10年も20年も先のことであるなら、その時合祀でもいいじゃないかという気にもなる。
イギリスコッツウォルズの風景にいるような墓地、との宣伝文句に乗って訪ねたら、以前母が父の墓を建てた墓園の隣にあった。ここは母が亡くなった後に、姉が墓じまいをしたところである。父の霊がまださまよっていて引き寄せたのかもしれない。
まお、ちょっと思い付きで近所のお寺の墓を見に行ったのが始まりであったが、いろいろ判ったこともある。墓は入る者が決めるより、墓参する者が決めるのがいいということも言える。(了)
墓を訪ねて3千里

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