何年か前に、弁護士や税理士など、いわゆる士業の報酬に関する規程というものが廃止された。依頼人との間で自由に報酬を決めることができるということになったのである。
一見いいことのように見えるがそうでもない。本当に当事者が平等に自由に取り決めできるか、ということが問題なのである。
このところ外構工事とか、外壁塗装、風呂場改装など出費がかさんだ。不愉快なのは工事見積がいずれもいい加減なことである。
しかし業者を何社も知っているわけではない。一般市民は言われるままにやるしかない、ということになる。
例えば弁護士の報酬というのはどういうものなのであろうか。罪を犯していないのに捕まって、裁判で無罪になったら報酬を払わなければいけないのだろうか。
もともと無罪なのになぜ払わなければならないのか、納得しにくいものがある。
知人にお金を1000万円貸して、返してくれないので裁判に訴えた。
1000万円もどってきたら報酬はいくらだろうか。
もともと貸した金である。自分のものが自分のものに戻っただけである。
しかし弁護士はそうは言わない。
私が担当したから1000万円戻ってきた。私がやらなければ1銭も戻ってこなかったかもしれない。だから最低でも半分の500万円はいただきたい。よくある話である。
税理士も司法書士も代理業務である。誰がやっても結果は同じである。税理士たちの能力や経験というもので税金が安くなったり、登記の内容が変わるものではない。変わったらおかしなことになる。
間違った申請をしても役所が訂正してくれる。どうして報酬に違いがあるのか。
先日問い合わせをしたら、うちはいい紙を使っています、と答えた司法書士がいた。冗談でしか答えられないということである。
報酬は高く取れるところからは高く、取れないところは安くというものである。根拠などというものはない。
誰がやっても結果は同じという仕事は報酬規程は必要だと思う。報酬の違いを説明できない報酬というものが存在することがおかしい。
士業において結構不祥事がある。最近では後見人による使い込みが多い。
人間誰しも金があれば悪いことはしない。金がないときに悪いことをする。
ある弁護士が依頼人のお金を着服した。競馬に使ったらしい。こういうものにはまってしまったら、他人の金に手をつけることになるだろう。モラルだの教養だの全く関係がない。(了)
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