4年前、東池袋で起きた自動車暴走死傷事故に関する民事訴訟の判決が先日言い渡された。
2人の死亡に対して、1億4千万円の損害額を認定した。逸失利益ということだが、命の尊さということについては判断しないのであろうか。
以前確かテレビの「相棒」だったと思うが、ひとりは本妻の子、もうひとりは愛人の子がたまたま知り合い、友人関係になる。しかし二人とも同じ事故で死んでしまう。(この辺の話の造りには無理がある)
その賠償額の算定において本妻の子は2億5千万円、愛人の子は2500万円と保険会社が提示する。
事故当時の二人の職業については覚えていないが、多分本妻の子はいい大学を出てサラリーマン。もう一人はまともな職業についていなかったという設定であったかもしれない。同じ男の子でありながら10倍の開きがある。
愛人を演じたのは麻丘めぐみさんであった。「わたしの彼は左利き」などと歌っていた時とは違い、男に捨てられ、水商売で子供を育ててきた女の悲哀をうまく演じていた。
なぜ自分の子の賠償金が10分の1なのか。
彼女は保険会社の社員の心無い言葉に憤慨して、思わずビール瓶で殴ってしまう。
結果としてその社員を殺してしまったことになるのだが、かつて彼女と子供を捨てた男が自らの行動を恥じ、罪滅ぼしに自分が犯人であると名乗り出る
しかし杉下右京はそれを見抜く。
同じ年頃の青年の死に対する保険会社の評価が違う。かたや稼げる人生、かたやダメな人生。ここでのテーマも人間の命の値段ということであった。
池袋の事故の加害者は高齢の身での刑務所暮らし。
パーキンソン病を発症しているということだからつらいことだと思うが仕方ない。
しっかり刑事責任を果たして、人間としての責任も果たさなければならない。
この人は裁判外での謝罪をしていないらしい。
刑事責任は被害者に対する責任ではない。刑事責任とは別に人間としての責任がある。自らの行為で人の命を奪ったのであるから弁解の余地ない。すべてを投げ打って、人間として被害者家族に詫びなければいけない。
袴田事件の再審が始まったが、何十年も前のことを検察は立証できるのだろうか。
死刑執行は早いときは判決確定後数年で行われるという。死刑判決をしてもなかなか死刑執行できない場合があると聞く。
袴田事件もなぜこんなに長い間執行しなかったのであろうか。
和歌山の毒物カレー事件も死刑確定後10数年経っている。オーム真理教の場合は異常に早かった気がする。
人の命を役所の都合にまかせるということはあってはならないはずである。
袴田さんが無罪になったとき、国家賠償の金額はいくらになるのであろうか。袴田さんは45年以上収監されていた。一人の人間の全生涯を国は拘束し続けたことになる。
検察を罰する法律がないというのもおかしい。間違いでは済まされないと思うが、無罪になっても「彼が犯人であることは疑う余地もない」と言うのがこのような事件での検察のコメントである。
なにが真実であるかは手続きを通じて求められる、というのが裁判制度の基本である。手続きを通じて無罪となれば、疑う余地もなく無罪なのである。(了)
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