たまに出かける青梅のそば屋さんの亭主口上書に、「昔医者から人間の体は毎日食べる物からできているから、口にする物には十分注意しなければいけない、という話を聞いてそば屋を始めた」、と書いてあった。人の体は食べる物でできているのは間違いないことだと思うが、毎日食べる物に気を遣うのはなかなかできることではない。
そばは体にいいと言われているが糖質は結構多い。しかしGI値(食後血糖値の上昇を示すもの)は低いとされている。そばをよく食べる者としては気がかりなことだが、健康を考えると食べる物がなくなってしまう。
なにごともあまり深く考えない、ということが健康に一番いいのかもしれない。
私は食べ物に関して革新派ではない。保守派ということになる。高齢になったのだからいまさら新しい味でもない。馴染んだ味で暮らしていきたい。
結婚して以来、家内のお陰で料理のすばらしさ、おいしさを知った。馴染めない味もあったが食べつけてみると、変な言い方だが、家内の言うことは正しい。漬け物とごはんしか知らない母の料理と比べれば、私にとっては都会のネズミと田舎のネズミである。もちろん田舎の方がいいという結末のことを言っているわけではない。ゆったりとした気持ちで美味しいものを食べることにこしたことはない。
粗食がいいのか、栄養満点の料理を食べるべきなのか。年寄りの栄養失調が多いと聞く。食べれば血糖値、食べなければ栄養失調。難しい世代である。
昔、知り合いの女性と食事をしていて驚きの光景を見た。その人はロースステーキを注文したのだが、脂分が一番おいしいと言って全部食べてしまった。それからしばらくしてすき焼きの席でご一緒したが、また驚くことにすき焼き鍋にひく牛脂を全部食べてしまったのである。家内と私はそれから何年もその衝撃が収まらなかった。以来お目にかかることはないが、健康でいるのだろうか。
最近お酒の効能が全面否定の様相を呈している。お酒は百薬の長でもなく、少量ならいいというものでもないらしい。体にいいと思ってお酒を飲んでいるわけではないが、とにかくなんでもだめだと言われると少々気になる。「好きでお酒を飲んじゃいないわ」と歌った江利チエミさんは酒が好きだったそうだ。体に悪いかもしれないが、しかし男の夕暮れには酒は必要なのである。
酒の肴にこだわりはない。しかし昔、隣に住む人からいただいた車エビは酒の味を変えるほどおいしかった。生きたエビをさっと湯通ししてワサビ醤油で食べる。肴で酒の味がおいしく変わることを実感したのは、今のところこれが最初で最後である。
魚の塩辛を酒盗と呼ぶ地方があるが、酒を盗んでまでも飲みたくなるほどうまい塩辛だ、ということであれば穏やかな食べ物ではない。名付け親は石川五右衛門かと思ったが、土佐の殿様ということになっている。
最近、酒の仕上げにショートパスタとブロッコリーなどの野菜を合わせたひと皿が食卓に乗る。味付けはアンチョビである。嫌いな味ではないが、手放しで好きになる味ではない。野菜が多いのは体のことを考えて、と家内は言う。
手放しで好きになる味というものがある。食べ物にも居心地の良さというものがあるのだ。カニ玉、トンカツ、親子丼、カレーライスなどがそうである。どうも子供が好きなものばかりになる。しゃれた難しい料理は苦手だが、それにしても進歩がないかもしれない。(了)
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