可哀そうな仏様

つぶやき

 全く宗教心はない。家に仏壇もなく、他人に、「仏壇は必要なものだ」、と言われてもあまり関心を持たなかった。せめて朝くらいは父、母、ご先祖様に手を合わせるような生活をしなければいけないと思う。

こういうことは親から子に引き継ぐものなのであろうが、我が家は私も妻も、実家は創価学会。誰も引き
継ぐ者がいないから、仏壇を処分してから自然と仏壇というものが疎遠になってしまった。

創価学会もだいぶ信者数を減らしたと言われているが、目先のご利益だけではなく誰もが納得する宗旨変えないとジリ貧は目に見えている。

 そろそろあの世なるものを意識する歳なのかもしれないが、今のところ、生が終われば後は無、としか思っていない。
神の御心や仏の慈悲にすがる気は
全くない。仏の教えに従って心の安住を求めたいとも思わない。できるところまで人生俗にまみれたままでいたい。

 宗教心からではなく、私はお寺や神社を見るのが好きである。
建築のことは全くの素人であるが、どうしてこんな立派なものが作れるのだろうか、という興味なのである。

その興味とは技術的なことと建築資金のことなのだが、資金に関する興味の方が強い。あんな時代にこんなところにどうやって建てたのか。それもそうだがその金は一体誰が出したのか、ということになる。

 私が住む埼玉県の一地域にも無数の神社や寺がある。むかし人々は掘立小屋に住んでいても、村の鎮守の神様や檀家になるお寺のためにお金を出し合ったということなのだろうか。

お寺などの案内看板には室町時代の創建などと書かれているのがあるが、建築いきさつは記載されていない。しかし当時の庶民がお金を出し合って建てられるような安普請ではない。

 昨年妙義神社を訪ねたが、豪華絢爛の神社である。創建は537年とあるが、この時代はそれこそ洞穴に何か囲いをしたような粗末なものだったのではないだろうか。そこに神祀られている、ということから時の権力者の寄進によって建て替えが何度も行われたものと見るのが自然である。

妙義神社は江戸からすると特別な方位にあるらしい。そのことから徳川幕府の庇護を受けたというようなことが立て札にあった。


 宗教心はないが宗教に対する疑問がある。私がなにより不思議に思うのは仏像の種類の多さである。

 仏教はお釈迦様が開いたものであるから、お釈迦様を拝めばいいのではないかと思うが、いろんな種類の仏様がある。

仏様を種類と言っては失礼だが、こんなに種類があるということはただ仏像に向かって拝めばいいということではなく、目的にった仏像を選んで拝まなければご利益がない、ということなのだろうか。

どうもそういうことらしい。仏様には、大宇宙の根本原理を説く壮大な
如来様から、とげを抜くための菩薩様まである。

庶民には、偉い仏様では敷居が高くて信仰心が持てないということがある。街角にたたずむ地蔵様の方がありがたいと思うのが自然である。

 明治の初めに廃仏毀釈運動ということがあったとされている。お釈迦様の教えを捨てるということだから、寺院の取り壊しや仏像などの破壊がおこなわれ

 奈良の興福寺などは警察の詰め所になって、冬には仏像を薪代わりにストーブで燃やし、シカはすき焼きにされて絶滅寸前までいったらしい。今でこそ阿修羅像は人気があるが、なん本もの手は紛失していたという。

時代が良ければ有難い仏様。
時代が悪ければ薪代わり。
仏様
神仏にすがりたい時代があったということになる。()

コメント

タイトルとURLをコピーしました