「北の旅人」という歌をこのところよく聴いている。石原裕次郎さんが歌った歌である。発表されたのは何十年も前のことらしいが私は最近知った。
何年か前にテレビで放送された「日本の歌100選」とかいう番組が録画してあって、その中に収録されていたのである。
テレビでは西田敏行さんが歌っていた。これがなかなかいい。石原裕次郎さんの持ち歌であるということを知り、聴いてみたいな思っていたらNHKのラジオ深夜便のご当地ソング特集とかで放送された。
ラジオ深夜便であるから深夜の放送のためイヤホーンを通じて聞いたのであるが、それでもいい雰囲気が伝わってくるのである。
石原裕次郎という人はなかなか歌のうまい人のようだ。きのうCDを買ってしまった。歌謡曲のCDを買うのは伊藤ゆかりの「恋のしずく」以来である。
作詞は山口洋子、作曲は弦哲也と書いてあった。詩もいいしメロディもいい。曲を盛り上げないようにしているのがいいのかもしれない。
静かに語るようなメロディと石原裕次郎の声が合っている。我が家の、イギリスBBC放送御用達のモニタースピーカーから彼の歌がイントロのギターに導かれて流れた。
なんども聴いているうちにホロリとしてしまった。歌謡曲を聴いて涙をぬぐったのは初めてのことである。西田敏行さんも同じような歌い方をしている。この曲が自分に合っていると思って歌ったのだろう。
私は歌謡曲が好きであるが、多分子供の頃の環境のせいだと思う。東京下町の駅前繁華街育ちであるからいつも歌謡曲が町に流れていた。
哀愁列車も赤いランプの終列車もお富さんもみんなこの町で覚えたものである。
子供はそんなませた歌を歌うものではないと大人に叱られてことがあったが、子供心にもいい歌だなあと思いながら歌っていた。
小学校3年の時にハーモニカを買ってもらったが吹くのはいつも歌謡曲であった。歌詞には関心はなく、私はメロディの良さにいつも関心があった。当時「湯島の白梅」と「旅の夜風」という曲のメロディラインに感心していた。
歌謡曲の歌詞に感心したのは多少人生を経験してからのことである。「山小屋の灯」という作詞作曲米山正夫の歌があるが、こんな素晴らしい歌詞だったのかと思ったのは50を過ぎてからのことであった。
人生初めて感心した歌謡曲は「風雪流れ旅」である。40過ぎて仕事がうまくいかず、国家資格に逃げ場を探していたころ、深夜ラジオからこの曲が流れてきた。
作詞は星野哲郎、作曲は船村徹。
船村さんは音大を出られた方だからオーケストレーションもされたものと思うが、なかなかの構成力である。しかし今思うと技巧に走った嫌いがなくもない。
言葉を並べれば詩にななる訳ではなく、音符を書き連ねれば音楽になるというものでもないが、作曲という行為は極めて直感的な作業であると思う。
知的な作業ではないかと考えられるがそうではない。考えたところで曲が作れるものではない。直感的を言い換えれば思いつきである。作曲とは思いつくことであり、作曲家であるためには思いつく曲想がどのくらいあるかである。
しかしその思いつきが音楽になるかならないかは別のことである。
「この音楽には音楽がある」「この音楽には音楽がない」。おかしな言い方かもしれないが、詩人那珂太郎氏が自作の詩集の題を「音楽」とされたのはこのことではないかと私は考えている。
音楽には聴いていいものと聴いてはいけないものがある。食べ物と一緒と言っていいかもしれない。それを誰が決めるのかという問題があるが、音楽を愛する人には分かるはずである。
北の旅人は、何か事情があったのか別れた女性を訪ね歩く歌である。男の歌であるが、作詞は前述したように女性である。
男の気持ちを歌った詞であるが、そこに書かれているのは、女性の気持ちを男言葉に変えたものである。
やはり女性にしか書けない詞と言えるかもしれない。
「あなたを頼りに私は生きる」などという、あの田嶋洋子さんなら怒り出すような昭和歌謡の歌より、女性の気持ちが切々と聴く者に伝わる歌である(了)
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