勝手気ままは簡単なことではない

つぶやき

 「人生勝手気ままに生きていく」という言葉を昨日知人から聞いた。もちろん初めて聞く言葉ではない。しかしこの言葉には、あらためて感じるものがある。
 歳をとったら勝手気ままに生きていく。それでいいはずである。それこそ長く人生を生きてきた人の到達する心境である。

 だがそれがなぜか私には出来そうもない。勝手気ままに生きてきたつもりだが、その境地になっていない。勝手気ままの境地は、誰でも到達できるものではないことを知った。高い見識がなければ到達できるものではない。
 以下の記述と関係することではない。

 北海道北見市の病院が、自己破産申請をするというニュースがあった。コロナ禍による患者の減少が原因とある。我が住む町も医療施設が少ない地域といわれているから、人々の不安も良く分かる。

 以前このブログにも書いたことのある給食提供会社の破綻が、大きな社会問題として取り上げられていた。
 実際給食事業はもはや成り立たないらしい。「10円値上げして20日間で200円」という社長さんの言葉が頭に残る。給食は学校だけではなく、医療施設や介護施設においても行われていることである。単にひとつの業種の問題ではない

 以前ローソンの社長ではなかったかという人が、ジャニーズの記者会見の内容について批判している。あまりいい印象を人に与える顔つきや話し方の人ではないが、少し調べてみると現在はサントリーの社長さんだそうである。
国民皆保険をやめて、民間保険会社による医療保険というものを提唱している人でもあることを知った。

 いずれ国民皆保険は民間保険会社にとって代わるだろうと予想しているが、すでに経済界ではその動きを始めているようだ。なんでもかんでも合理性や効率が優先する社会になりつつある。

 最近、サントリーに限らず、ビジネススクールとかで経営を学んだという人を社長に据える会社が多い。生え抜きの経営者ということではないということである。商売理念より効率を優先させることにした、ということになる。

 サントリーは昔から酒屋の評判が悪い。経営は人がやるものではなく数字が行うものになっている。そのためかこの社長さんの人相には人間味がない。

 AIによって士業は無くなると言われている。弁護士や公認会計士などの仕事が人工知能にとって代わるということになる。

 庶民が高い費用をふんだくられる、ということから言えば歓迎すべきことである。弁護士や司法書士などの報酬は取りすぎだと思っているから、是非そうあってほしいと思うが、弁護士はそう簡単なことではないだろう。

 司法書士や行政書士などは即刻人工知能にした方がいい。不当な報酬を得ている。定年公務員の退職金代わりというような資格はあるべきではない。

 なにより減らすべきは国会議員の数ではないか。国会議員は数としての意味しかないことは議員自身が認めていることである。要は国民が、どの政党に何人の議員がいればいいか、というのが選挙である。個人の政見や個性などが全く意味を持っていない。しかしこれが是正されることはないだろう。国会議員は当選してしまえば国民の代表ではなく、自分の利益の代理人だからである。

 歳寄りの怒りの矛先は、議員の数とかタレント議員に向けられるのが常である。世を憂い、世の行き先を心配してのことではない。単に不愉快なだけである。

 歳をとった政治家が政界を引退し、高齢の身を平凡な日常に置くとき、何を思って生きていくのだろうか。政治家に限らず大企業の経営者もそうである。

 細川護熙さんは陶芸家になっているそうだ。菅直人さんは四国巡礼をしているらしい。小泉純一郎さんは原発反対運動をしているという。

 やはり一番話を聞きたいのは村山富市さんである。99歳。自民党との連立を悔やんでいるのだろうか、総理大臣になれてよかったと思っているのだろうか。(了)

(了)

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