70歳くらいまでは、「今まで医者にかかったことはない」、などと病気は他人事のように言ってきたが、かかり始まれば後から後からひっきりなしに病気が出てくる。さらに病気の予備軍なるものが待機しているようだから、これからは医者にかかりっぱなしということになる。人間関係も医者が中心になることは間違いない。
病気のことから始めたブログであるが、世事にかまけて肝心の病気の記述が少ない。高齢者が世の中に一言呈したところでなんとかの冷や水。無益で無駄なことは承知しているが、歳と共に義憤は高まるばかり。世間への関心は認知症なる病の予防に役立つと聞くから励んでいるが、認知症を早めるという話もある。穏やかさが一番ということらしい。なんでもかんでも正反対な考えがある時代である。
ブログに病気の記事が少ないのは「手遅れ」ではなかったから、ということになる。手遅れでなかったから病状について書きようがないのである。
重い病気に苦しんでいる人には申し訳ないが有難い話である。
しかし病気というものはいつも「今のところは」ということである。明日は手遅れになっているかもしれない。病は突然やってくる。油断する気はないが防げるものでもない。
喉頭がんに関しては手術後の経過観察に入って1年半になろうとしている。防衛医大のレーザーによる切除手術が良かったのか、放射線治療をした場合のような後遺症もなく、ただ以前のように、我らがテナーのような美声を出すことはできないが、嚥下力や呼吸に今のところ支障はない。最悪は、ワイルドワンズの加瀬邦彦さんやロック歌手の忌野清志郎さん。落語の立川談志さんの症状になるらしいが、なんとか進行しないことを願うだけである。
頚椎症性脊髄症(以下脊髄症とします)は思っていたより手強い病気である。これは手遅れであったかもしれない。やはり脊髄という神経の根幹にかかわる病気であるから簡単な病気ではない。
人間の体に簡単な病気というものがないことに気がつく。歯茎一つでも放っておけば生死にかかわる重大な病気になるのである。
北島三郎さんは脊髄症の手術をしたと聞いているが現在は車椅子である。最近では近藤真彦というタレントが手術したという。
私の知り合いに脊髄症を患う人が何人もいるが、30代の人もいるから必ずしも年寄りの病気とは言い切れないようだ。
脊髄症の症状として何項目かあげられるが、すべてに該当するということでもない。神経の病気ということはそういうことであろうか。
手足のしびれやボタンがかけられない、歩きにくい、階段の上り下りが不安定というのが典型的症状であるが、時には膀胱や直腸に障害が生じることもある。尿や便が出にくくなったり、あるいはもれ出してしまうということである。私はそこまでの症状は出なかったが、排尿などについては何度も医師から聞かれた。神経を傷めてしまうと回復は望めないという話を聞く。自分の症状からしてどうもそのような気がする。昔のように歩けないのである。
脊髄症の手術の半年後、腰部脊柱管狭窄症(以下狭窄症といいます)の手術をしたのは臀部の痛みがあったからである。脊髄症で頸椎を3ヶ所削り、狭窄症では腰椎を1ヶ所削った。歩けない原因は首なのか腰なのか。医者ははっきりしない。
診察室にある骨格模型を見ると、骨というものはネジとかビスとかワイヤーなどで止めてあるものではく、筋肉によって支えられていることが判る。
まさに神のなせる業。筋肉の減少が何をもたらすか、骨格模型は雄弁に物語っている。
今日はこれから市役所の介護保険の人が来る。私の要支援認定のためである。術後のリハビリにあまり効果を感じなかったが、術後6ヶ月が過ぎると保険によるリハビリを受けることができなくなる。介護保険によるリハビリを医師から勧められ、それをやってみようかという気になったのである。
効果があるとは思っていないのだが、このまま無為に過ごすのも能がない。と書いていたら担当者が見えた。ここから先の記述は担当者が帰られ後である。結論が出たわけではないが、私の状態は健康そうで認定にはよくないそうだ。歩きにくい状態を見てもらったが、一生懸命やったので歩きにくそうにも見えなかったらしい。結果は1ヶ月先だそうである。
神経を傷める前に手術をすればよかったと思うが後の祭りらしい。
人生、後の祭りだらけである。(了)
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