分からないままの人生

つぶやき

 大した人生を送れるはずもない人生のスタートであったから、経験してきたことも大したことはない。

 大した人間にもめぐり合わなかった、と言っては不遜になるが、人は自分と同じレベルでつき合い、寄ってくるものである。人に対する不満はすなわち自分の投影。自分より高い人には近寄れない。

 なにより人生分相応がいい。適当に働いて、すこし贅沢な生活ができれば最高。
 若い頃、難しい問題に取り組んでいろいろ考え、工夫する仕事に憧れたが、大した意味はない。

 人生分からないことがたくさんあったが、今日の気分から思い出すのは飲み屋のことである。

 飲み屋と言っても大衆酒場といった大きな店ではなく、何坪かの狭い店で、ちょっと気の利いた女将と板さん2人でやっている、常連さんしか来ないような店のことである。

 私が若い頃働いていた会社の近所に「おかめ」という店があった。そこの女将は女将さんというより新劇の女優という感じの人であったが、事実新劇の女優さんであった。
 おかめという店名もペルソナから取ったようだ。

 舞台では食べていけず飲み屋さんをやっていた。当時50歳くらいかと思う。事あるごとに、兄が東大出の大学の先生、であることを客に話していた。

 なにかと難しい店であった。何が難しいと聞かれても答えようもないが、こういう店は黙って飲める人でないと行ってはいけないのである。しゃべってしまうと、「そんな程度」、ということになってしまう。最後までこの店での酒の飲み方が分からなかった。

 もう一軒飲み屋さんで思い出す店がある。ある銀行の人と飲みに行くことになった。私が接待する立場だったから、銀行のそばのそれなりの店でと思っていたら、いきつけの店に行くという。

 そこは池袋から西武線に乗って20分ほどの、駅から少し歩いた狭い路地にあった。一軒家を改造した看板も出していない居酒屋であった。

 ここで飲む人は自分をさらけ出して飲むのだそうである。ほぼ満席であるがみんな仲がいい。

 そのうち「この人(銀行の人のこと)と飲んでいる人は私の友達だ」と私のそばに人が寄ってきて、みんな自分の職業や家族がいるとかいないとかしゃべる。

 ある女性は「トルコで働いています」と言う。このころはトルコであった。今はソープランドという。こういう人達がいて、こういう飲み屋があることが分からなかった。

 私はこういう人間関係が分からない。親しい友人関係というものも分からない。

 自分をさらけ出すことが大事なことであろうか。あの女の人は本当にトルコ嬢だったのだろうか。そんなことを自分から言うような人などいるだろうか。

 私はよく「らしくない」と言われた。夜間高校生になれば夜間高校生らしくない。夜間大学生になれば夜間大学生らしくない。
 結婚しようとすれば女房の友達から「この人の(女房のこと)結婚相手らしくない」。不動産屋になれば不動産屋らしくな い。バイオリンを弾けば、あなたらしくもない。

 隠れたところで言われていることもあるらしい。父親らしくない。夫らしくない。

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