私は気が短いというか、せっかちというか、そのためか人生を楽しむことが下手である。短気でせっかちであれば、そもそも人生を楽しむということに気がつかないはずであるが、私のそばに人生を楽しむ人がいるのである。
人間はやはりおっとり、ゆっくりとお茶を楽しみ、庭に咲いた一輪の花に喜びを見出せるような生き方をしなければいけないと思う。
短気は損気と言うが全くその通りで、思い起こせばずいぶん損をしてきた人生であった。
そんな私が好きな風景がある。夕映えを背にした冬木立である。冬木立はケヤキやイチョウのような、背が高く枝分かれの多いものがいい。
この風景を美しいと思ったのは高校生の頃である。私たち母子4人は叔母の家から離れ、初めてアパートを借りて生活をすることになった。その狭い部屋から、ある大学の構内にそびえるケヤキが見えるのである。
すべての葉を落としたケヤキの大木は、その梢を夕焼けの寒空に無数に拡げている。まるで影絵を見ているようであるが、まさにこれが自然が作る影絵なのであろう。
夕焼けの色は茜色というが、冬の空は黄色や橙色も交じり豊かな色彩になる。きれいだなと思った。
この景色に似合う音楽は何だろうかと考えた。
ブラームスのクラリネット五重奏曲がすぐに思い浮かんだがどこか違う。
この景色は冬の夕暮れであっても寂寥だけではなく、なにか温もりを感じさせるものがある。
メンデルスゾーンの八重奏曲。あの第1楽章のアレグロがこの景色によく似合う。
私は武蔵野という言葉に興味を持った。何が武蔵野で、どこが武蔵野なのか知らなかったが、大学構内の夕映えに浮かぶケヤキの風景が武蔵野だと思うようになった。
郊外に出ればこの風景を窓越しではなく見ることができるのではないかと、冬になると西武線に乗って田無や狭山方面に出かけた。
武蔵野の景色があったのかどうかあまり記憶にない。電車に乗り、適当な駅で下車したとしても、なかなか思うとおりの景色に出会えるものではなかったようだ。
60年近くも前のことである。あの頃の西武線の車体カラーも今と同じ黄色であったような気がするが、多分記憶違いであろう。
そのころだと思うが、国木田独歩の武蔵野を読んだ。読みにくい文体であったことはよく覚えているが、内容についてはほとんど覚えていない。
書棚を探すと文庫本があった。改めて読んでみようと後に買ったものだと思う。読み直してみると字が小さくて閉口したが、次のような文章で始まっていた。
「武蔵野の俤(おもかげ)は今纔(わずか)に入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見た事がある。そして其地図に入間郡小手指原(こてさしはら)久米川は古戦場なり………
独歩さんは、武蔵野の面影はこの小手指原の古戦場あたりにあるのではないかと思って一度行ってみたいと書いている。
文政年間の地図というが、文政年間と言えば19世紀の前半のことである。
現代のような大規模な開発などない時代に、武蔵野の面影は入間郡小手指原にわずかに残っていたということなのであろうか。どうも不思議な文章である。
それはともかく、独歩さんがいう武蔵野の美とは雑木林のことらしい。美というより詩趣と言った方が適切であると言っている。
雑木林の良さはもちろん知っているつもりであるが、現在の雑木林は戦後の農地解放のとき、雑木林は作物を生産しない、との理由から、農民が農地分割を逃れるため意図的に植えたものである、との記述のある本を読んだことがある。そのためか、どうも雑木林については手放しにいいとは言えなくなった。
私はその小手指の地で格好の冬木立の場所を見つけた。広々とした畑の先に大きなケヤキの並木がつづいている。
幸いに道路は東側である。冬の夕暮れ、車窓からこのパノラマを一望できる。
冬に向かうこれからの季節は寒さがつらくなるが、あの風景の季節になると思えば楽しみである。
春は待ち遠しいが、春風が吹けばこの風景ともお別れかと、去り行く冬が名残り惜しくなる。(了)
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