旧統一教会の献金に際し、「一切の賠償請求をしない」との念書について、11日最高裁は公序良俗に反して無効と判断した。
「よい判決だった」と判決後、弁護団は語ったらしいが、出て当たり前の判決。もっと早く司法は、「念書無効」を告げるべきであった。
「公序良俗に反する法律行為は無効」
民法第90条に鎮座まします民法のご本尊である。
普通、裁判所はご本尊たる包括条項を滅多に判決の根拠にしないものだが、最高裁が奥の院の扉を開けた。
安倍さん殺害のこともあり、旧統一教会のことに関しては、少し本腰を入れなければ、と思っているのだろうか。
献金そのものが公序良俗違反、と思ったらそうではないようだ。
判決要旨によれば「賠償請求しないとする念書は、元信者の女性が合理的な判断をするのが困難な状態を利用して締結された。よって公序良俗に反し無効」としている。
「元信者の女性が合理的な判断をするのが困難な状態を利用して締結された」というのであれば、「意志の欠缺により念書は無効」とすべきだと思うが、なぜ公序良俗違反としたのか。判決では明瞭に述べていない。公序良俗違反は明瞭に述べるものではないのかもしれない。
献金自体、旧統一教会自体が公序良俗違反、との判決であれば、大岡裁き以来の名判決となるが、今の時代ではそういうわけにもいかないらしい。
しかし、旧統一教会に関する裁判で、公序良俗違反という用語が使われたことは、その他の旧統一教会に関する裁判に与える影響は大きいと思われる。
旧統一教会は、何が公序良俗違反なのかと反論してくることだろう。
この訴訟でなによりみっともないのは1審、2審の裁判所である。
1億数千万円もの金額を、一人住まいの80歳を過ぎた女性に献金させていた。女性にはアルツハイマーの症状もあった。教団は女性を連れ出し、公証人役場で「一切の賠償請求をしない」という念書を作った。
娘さんが異様に気づいて訴訟を起こし、この判決までに9年かかっている。
1審、2審の裁判所は教団を勝たせた。念書は有効という判断である。下級審は何を判断したというのか。アホとしか言いようがない。
この裁判が起こされる前から霊感商法として、旧統一教会の問題性は指摘されていたではないか。
念書の有効性に関する裁判であるから、旧統一教会の問題性を本件審理の参考とするわけにはいかない、とでも言うのだろうか。アホの極みである。
この念書の裁判は、単なる契約成立論で審議すべきものではない。
1、2審はこの問題を単なる契約法理で片づけたようだ。
本人のサインも捺印もあって、しかも公正証書による念書であるから有効。こんな程度である。
80歳を過ぎた女性が、1億円もの寄附をすることになんの異常性も感じない。裁判官は決められたことしか判断できない。ロボットの方がましである。
「霊感商法が悪いものと決まったわけではない」という考え方が、霊感商法に限らず何事にもこの社会にはある。裁判所もそういう考え方をする。
しかし悪いものは悪い。霊感商法は悪いものである。1億円の寄付をして水晶玉をもらったことによって幸せになったという人がいたとしても、霊感商法は悪である。
「幸せになった人がいるから悪いとは一概に言えない」、という考え方は間違っている。一概に悪いと言うべきなのである。
何事も「一概に言えない」という人は、なんの信念も持っていない人である。
公序良俗とは、「公の秩序、善良の風俗」を言う。
公序良俗違反とは、「細かなことはいろいろあったとしても、とにかくよくない」ということである。そういうことでは今回の判決は画期的である。
昨今のテレビにしても、ネット記事にしても、芸能人にしても、人間関係にしても何かおかしい。とにかくよくない。適当な言葉が見当たらなかったが、みんな公序良俗違反であった。(了)
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