公務員はえらいものなのだ

つぶやき

 大川原化工機の大川原正明社長らが、東京都と国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審口頭弁論が9日、東京高裁であった。

 警視庁公安部に捜査当時所属していた警察官が証人に立ったが、ひどい内容である。ここに詳細を書くまでもないが、捏造事件は、「捜査の決定権を持っている人の欲だった」という証言がすべてを語っている。

 犯罪をでっちあげてでも組織において出世したいという考えはありえない話ではない。警察というところはピラミッド社会。こういう事件が無くなることはないだろう。

 身近な話を一般的な話とはできないが、私の同級生は司法修習が明けて検察官の道を選んだ。

 「裁判官は責任が重すぎる。弁護士は客に頭を下げなければならないからイヤだ」、ということがその理由であった。

 おとなしそうな男であったが、要は威張りたいということであろう。
 検察は威張れるところであることを知っているのである。

 こう言っては失礼だが、下級公務員と言われる法務局職員にも民間を見下す意識がある。
 「表に出れば法務局の仕事で金を稼いでいる代書屋連中がたくさんいる」

 法務局や役所の周辺には、司法書士とか行政書士という代書屋が軒を並べているが、彼らのことを言っているのである。
 吐き捨てるように言った職員の顔を憶えていようという気はないが、なかなか忘れない。
 公務員たちは商売を「不浄」のものとしているのだ。

 警察や検察は、民主化ということを知らないで、明治時代のまま存在しているのではないだろうか。
 民主化を知らないのは警察や検察だけではなく日本の全部の役所かもしれないし、受け継いでいる時代は江戸時代あたりまでさかのぼるのかもしれない。

 簡単に言ってやはり「お上」という意識が根強く存在しているように思えるのである。
 岡っ引きには銭形平次や黒門町の伝七のような善良な者がいるが、それは小説上のことで、岡っ引きの大半はやくざ者のような人間が多かったらしい。
 十手を嵩に、「お上にたてつく気か」とアコギなことをやったようだ。このお上がまだ残っているのではないか。

 「お上」の話の例になるか分からないが、こんな話を思いつく。
 相続登記を申請する場合、戸籍謄本などを提出するが、それが戦災などで消滅している場合、登記申請する当事者に上申書を提出させる。

 内容は、「戸籍焼失のため提出することができませんが、それにより万一支障が生じましたときは、一切の責任は当方において負担し、貴庁には何らのご迷惑をおかけしません。上記の通り誓約いたします」

 これはどう見ても「お上」ではないか。行政が担うべき責任を国民に転嫁している。
 警察や検察に、「自分たちが悪かった」という意識があるはずはない。

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