日本で一番長い時代は江戸時代と思っていたら平安時代であった。江戸時代は265年。平安時代は390年。
室町時代も結構長く237年。安土桃山はわずか23年。信長は暗殺され、秀吉は、秀頼をくれぐれも頼む、と願うばかりで新しい時代を作れなかった。
現代の始まりを明治元年とすると現代は今年で158年。長いと思うが他の時代に比べるとそうでもない。江戸時代はずいぶん長かったのだなと思う。
古い時代は新しい時代にとって伝統になるのだろうかと思ったが、時代を眺めてみると、新しい時代は古い時代の否定によって成立している。
伝承は具体的だが伝統は抽象的。伝統は精神ということにもつながる。
伝統という言葉はあいまいで、その存在を証明しきれないから、政治的に利用されることが多いのではないか。そんなことを「選択的夫婦別姓」を機に考えた。
「選択的夫婦別姓」に対して、主に自民党内の右派や保守を標榜する言論界の人達は反対である。
保守的な人はなぜ反対なのか。国士舘大学の名誉教授という百地章氏は、次の理由によって選択的夫婦別姓に反対する。
「別姓は家族を破壊する。日本の伝統的な家族制度や家族観を破壊する。日本の伝統的な戸籍制度が崩壊する。別姓は子供に悪影響がある」
百地章氏の主張内容は、昨日の毎日新聞夕刊に掲載された、「家族が壊れる それホント?」という記事からの引用である。筆者は吉井理記となっているが、毎日新聞の記者なのか、どんな人なのか全く知らない。
この記事は、選択的夫婦別姓反対論の検証である。
「伝統的」な家族制度であるから破壊させてはならない。「伝統的」な戸籍制度であるから崩壊させてはならない。ではどんな伝統があったと言うのか。吉井氏ではないが、「それホント?」と思わず言いたくなる
明治憲法下の家制度のことを伝統というのであれば、保守たる面目躍如であるが、アメリカ占領軍に押し付けられた新憲法下の家族制度を指すというなら何をか言わんやである。「伝統的な家族制度」とはどちらのことを言っているのだろうか。
夫婦同姓も伝統的なものではなく、明治以前には夫婦別姓が各地で行われていたという事実が、古い戸籍などで確認されている。夫婦別姓であっても何も破壊も崩壊もしていない。
「別姓は子供に悪影響がある」ということについて、三原じゅん子こども政策担当相は、「選択制を導入した諸外国で、子供に悪影響があることを証明する情報には接していない」と国会で明言。
この人は官僚の作った原稿を読むだけである。この文章の意味を理解しているのだろうか。こういう表現はこの人の人生にはなかったはずである。
結局国士舘大学名誉教授の言う「選択的夫婦別姓反対理由」は分が悪い。しかしそうであっても反対陣営は、相変わらず日本の伝統が破壊されると主張し、国は論議を勧めようという意欲を示さない。
5、6年前、ノーベル賞クラスの発明をかつてされたという技術者(大きな会社の経営者でもある)の方にお目にかったことがある。仕事の関係であったが、同席者には銀行の支店長や建築関係の社長もいた。
その技術者という人が、日本の物づくりが世界で通用するのは天皇制があるからだ、と言う。真面目で真剣な話である。同席者はみなうなずいている。
日本の物づくりと天皇制がどう結びつくのか、私には理解しようもないが、そういう考えを持つ人たちがこの社会にかなりいることは確かなようである。ネットにはそのまま「天皇制が日本の物づくりを支えている」という記事があった。
なにより2000年近くもの血筋を遡ることのできる天皇制度を有する国は日本しかない、ということがとても重要なことであるらしい。今まで知らない世界であった。この技術者は、「選択的夫婦別姓」は絶対反対である。
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