『わたしはあんたを忘れはしない
  誰に抱かれても忘れはしない』
 は欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」
 『好きな男の腕の中でも
  違う男の夢を見る』
 はジュディ・オングの「魅せられて」
欧陽菲菲は、「私は『誰に抱かれても忘れはしない』などというふしだらな女ではない」と怒っていた。
しかし欧陽菲菲には、若い男と別れて別な男に抱かれるという魅力があった。本人はそれがイヤなのであろうが、女性としては最高の魅力ではないだろうか。
ジュディ・オングはこの詞になんの文句も言わなかった。「私もそうしている」という雰囲気だったが、あまり女性としての魅力はなかった。
ジュディ・オングは説明しながら歌っている。「南に向いてる窓をあけ 一人で見ている 海の色」「レースのカーテン ひきちぎり 体に巻きつけ 踊って見たくなる」。詞は説明してはダメなのだ。
女性はそういうものなのかは知らないが、何も無理して女性の浮気性を歌にすることもない。特に「魅せられて」は詞も曲も作者の無節操さを感じる。
ま、しかし雨の夜。高齢者が考えるようなことでもないが、リタイアすれば思いつくのはこんなことしかない。
が、しかし、リタイアしてこんなことを思いつくというのも情けない。リタイアしなければもっと充実した人生を送れたはず。
だがしかし、リタイアしなければ充実した人生を送れたはず、というのも確かなことではない。リタイアする前から充実した人生ではなかった。
人生において充実が必要なことは分かるが、充実とは何かということが分かっているようで難しい。
 充実した人生とはなんなのか。「自分が満足すること」であることは間違いではない。
 
 サラリーマンが定年後に求めるものは「会社勤めから解放された充実した老後の生活」である。
 自営者も同じようなもの。「嫌な取引先から解放された自由な生活」である。
いやな生活から解放されることが充実した人生になるようだ。

  
  
  
  

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