高齢者を制度の中に位置づけようとすれば、高齢者の定義が必要になってくる。制度に関係なければ人は何歳になろうとも人である。
国連の世界保健機構は65歳、日本の道路交通法では70歳、居住の安定確保とかいう法律では60歳を高齢者としているらしい。制度の目的によって高齢者も変わる。
年齢制限があってもおかしくないと思われる婚姻制度に高齢者の制限がない。
優生学的な配慮はするが、こと婚姻に関しては高齢者の健康に関心をもっても止めようがない。
後期高齢者というのは、医療制度において使われる言葉であることを知らなかった。
ボケの防止にはまず後期高齢者の勉強から始めなければいけないのかもしれない。
しかし好機ではなく後期と言っているのだから、もうあまり時間がないよ、という意味であることは間違いない。
後期という言葉に批判があったらしいが、どんな言葉にしたところで年寄りは年寄りである。
後期という言葉がふさわしいのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲だけである。
しかしこのブログを書き始めてから私は自分を年寄りと言っているが、年寄りになった気は全くない。歩きにくいということはあっても健康である。
自らを年寄りという人は多いが、多分年寄りとは思ってはいないと思う。自分が年寄りになって良く分かる。
しかし歩きにくいというのは何とかしなければならない。何をするにも歩けなければ何もできないし、どこにも行けない。
リハビリ病院にかかれるのは外科的手術後6ヵ月ということになっているから、介護認定を受けなければ保険で治療できないらしい。介護保険の知識も吸収しなければならない。
昭和40年代に老人の医療費はタダという時代があったが、10年ほどで廃止された。病院が年寄りのサロンと化している、という言葉が流行ったのはこの頃のことであった。
都知事が年寄りの交通費をタダにしたことがあった。都民は拍手喝采したが、すぐに中止になった。無理はどうしたって続かない。そんなことは分かっていたと思うが、いい都知事さんでいたかったのだろうか。
日本の医療制度は世界と比較して素晴らしいものであるらしい。いつでもどこの病院でもかかることができる、という日本では当たり前のことが外国ではそうではないらしい。医療は国の問題ではないと考えているようだ。
日本の政治はあまり国民のためになることはやらないことになっているが、医療保険も含めた医療制度はいろいろ問題があっても評価されている。
制度の始まりの時に、あまり考えもせずにいいものにしてしまったのではないだろうか。そうであればこれからは悪い方向に進むことになる。
日本の医療というと、武見太郎というかつての日本医師会の会長を思い出す。
医師会の選挙票をもって、政府と医療制度についてやりあった人物である。ケンカ太郎というあだ名もあった。
日本の開業医が大きな収入を得ることができるのは彼の功績だとされている。
医師が立派な人間とは限らないし、日ごろから新しい知識や技術の習得に熱心に取り組んでいるかどうかも分かりようがない。
病気になったら諦めるか、信用するしかない。大きな病院で、乳がん手術を古い術式で行ったため全摘してしまったという報道が最近あった。こういうことはあってはならないが、よくあることである。
私の母は80を過ぎて、「歳取ったらベッドにする」と言っていた。今私も母の歳に近くなってきて、母が本当にそう思っていたことが良く分かった。(了)
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