健 康 談 義

つぶやき

 ここ何日かいつもの公園でのウォーキングをしていない。きのう久しぶりに出かけたが、金木犀の匂いが立ち込めている。いつものウォーキングコース金木犀が多いことを知らなかった。

 季節の変わり目は血圧が高くなると聞いているがこのところ高い。もう何年も前から、血圧の基準値というこからすれば高いのだが、歳をとれば血圧が高くなるのも当前ということと、降圧剤の副作用などをいて特に治療はしていなかった。
 いくつかの医者に行ったが 行ったその日から「とりあえず飲んでみますか」という医者もいれば、「あんなものは飲まないほうがいい」という医者もいた。

 今年の7月に大腸検査をしたが、その際測った数値が高かったその医者は内科も兼ねていて血糖値よりも血圧の方が大事だ血圧は怖い、などという。

 確かに脳卒中や心筋梗塞は突然死となるからそう言われれば気になる。今まで常時服用する薬というものを飲んだことがない。いよいよ老いも佳境に入ったということか。血圧、糖尿、痛風などの薬三昧になりそうである。

 何年か前にジェネリック医薬品に関する事件が相次いで報じられた。死者も出たことからメディアも大きく取り上げた。小林化工とか日医工などの医薬品製造会社の名が挙がり、ジェネリック医薬品に対する社会の信頼は地に落ちたとわれた。
  製造過程でのミスも重大なことだが、成分を変えてコスト削減をはかったようである。事細かく書くこともないが、まさか薬に関してはおかしなことはないだろう、という信頼が損なわれたことは重大であり、困惑するしかない。
 
 国民の健康という単純で明快なことが、例えば薬事行政として行われることになると、優先されるのは国民の健康などではなく、役所の都合とか業績とかいうことになってしまう。ジェネリック医薬品の事件も薬事行政のいびつさが生んだものだという指摘もある。

 ジェネリック医薬品の事件以来、医薬品が不足しているという。事件があったから調査してみたらどこの会社も問題を抱えている。役所も放っておくわけにもいかないから指導に入れば生産が遅れ薬が不足する。こんなことになっている。
 医療に関しては人々は信頼する以外にない。この社会は政治に期待しない社会であるが、医療までそういうことであれば末期の社会ということになる。

 あまり信じたくない話であるが、高血圧の基準値が年々下がっているのは科学的な根拠もあるだろうが、製薬会社の意向の反映だという話もある。基準値を130としたことにより100億単位の売上が一気に1兆円に達したという。現在では2兆円になっているのではないかという説もある。
 国民としては製薬会社がいくら儲けようと自分の懐に入るわけではないからどうでもいい話であるが、薬自体は間違いのない物にしてほしい。

 医療は医療の前に商売でもある。そのことを悪いことというつもりは全くない。儲けなかったら新薬の開発などなにもできないことになってしまうからである。大いに儲けて患者のために還元してほしい。それが正常な姿だと思う。

 友人の母親が10年間意識もなく、胃ろうの状態で先年亡くなられた。胃ろうをしなければ退院しなければならない。意識不明には医療行為がないからということらしい。友人はただベッドに横たわる母親を見守り続けた。これを医療と言っていいのだろうか。難しい問題である。 ()

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