信頼などしてはいない

つぶやき

 タレントの羽賀研二に対して、「稀代のワルだ」と言ったのは梅宮辰夫であった。娘との交際に猛反対していたが、羽賀研二のどこに「稀代のワル」を見たのだろうか。

 羽賀の女性関係に、同じ男として直感したのだろうが、経済事件を起こすようなワルとまでは予想していなかったのではないか。
 旅行先で漬物屋の看板をよく見かけたが、テレビなどでの印象から「なんでこんな商売をしているのか」と違和感を持ったものである。

 羽賀研二がまた捕まったらしい。5年ぶり3度目という。
 強制執行妨害の罪で、山口組傘下の組長らとともに、愛知県警に逮捕されたということだが、逮捕者の中に日本司法書士会連合会の副会長という人も入っていたということから、少々問題が大きくなっている。

 要は強制執行を免れるために、不動産の虚偽登記をしたということである。
 登記申請の代理を業務とする司法書士が、それも連合会の副会長ともあろう人間が虚偽登記に加担したということであるから、登記に対する社会の信頼が損なわれることになる、ということで大問題だという。

 だがしかし、この司法書士が虚偽登記であることを知って登記を行ったとしても、登記に対する社会の信頼が損なわれるということはない。仰々しく「登記に対する社会の信頼」と言うが、取ってつけたような言い方であって、実のある言葉ではない。
  
 登記制度は、国民の権利の保護制度、権利の証明制度として制定されたように言われているが、単なる公示制度にすぎず、国の制度としてこれほど国民に誤解されている制度も珍しい。
 「登記に対する社会の信頼」なるものがどんなものなのか、一度確認してみる必要がある。

 司法書士や行政書士などという職業は、あってもなくてもいいものである。
 行政手続きを意味もなく複雑にして一般の人には面倒な手続きと思わせ、専門家に任せれば安心と、たいした専門家でもないのに、専門家の看板をぶら下げて商売にしている、ということである。公務員の定年退職後の職業として用意されたものでもある。
 彼らは法律の専門家でもないし、国民の権利を擁護するものでもなく、行政の便利のために、行政に仕える下働きである。

 そもそも間違った書類を提出しても、それを受理した行政がその間違いを指摘して訂正させるということが、国民の権利保護の資格と言えるだろうか。

 事実関係はまだ何も報道されていないが、虚偽登記を見抜けなかったか、なにか弱みを握られて虚偽登記をせざるをえなかったか、多額の報酬を提示されたか、嵌められたか。報酬に目がくらんだということであれば同情する。

 とかく資格を有する者は、資格を嵩にして悪いことをするものである。
 警察官が人を殺したり、女性の家に入り込んで暴行したりするのはよく聞く話である。
 弁護士が依頼人の金を着服したなどという話は珍しいことではない。
 国会議員が税金を払わず、裏金を着服したという話は最近の話である。
 内閣総理大臣が旧統一教会と自民党総裁室で面談したという話もある。

 社会の信頼などというものは、とっくにないのである。

 

 

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