信州という言葉の響きにはなにか特別なものがある。関東人だけのことなのか、日本人すべてがそうなのか。
私は生まれは千葉だが育ちは東京の下町。学生時代、初めての合宿地が小諸と聞いたとき、そうか信州かと、信州の何を知っているわけでもないのに喜んだ。
信州は同じ風景でも違う、と言う人がいた。標高が高いからおのずと景色が異なるというのだ。そういわれてみれば確かに清々とした景色が続く。
昔から高原がよく歌に歌われている。高原というから一面平らなところかと思っていたが、そういう高原もあるが大半はその山一帯を言うようだ。
高原と言えば信州、ということになる。澄んだ空気、白樺林、どこまでも続く草原。
高原は人の別れに似合うのか、そういう歌がいくつかある。
2年ぶりに白樺湖に行った。学生時代の2年生の時の合宿の地であり、結婚前、妻と初めてハイキングに出かけたところでもある。
40歳で車の免許を取って以来何回か訪ねているが、ここには青春の思い出がある。
新しくホテルを建設しているところもあれば、廃墟と化したホテルが多数ある。
学生時代合宿に利用した民宿のような旅館はまだ残っていた。しかし古びた建物あるだけで、何年も前から営業はしていないようだ。
50年以上も前の合宿。湖畔の散策。変わったようで何も変わっていない。湖面にはあの日と同じ車山が映っていた。
義兄が亡くなった。79歳。4年前に妻を亡くし、一人住まいを2年過ごした後、息子夫婦の住む松本に住んだ。
長く教員を務め、定年後は夜間中学の教師も務めた。
父母と同居し、いつも来客の絶えることのなかった大きな家は誰も住む人がいなくなった。
「ひとりが好きなんだ」、と言っていたが、最愛の妻を亡くした生活がどれほどつらく寂しいものであったか。
優秀な人だった。名門都立高校を卒業して大学は哲学科を選んだ。物静かな口調と穏やかな人柄は生徒たちから慕われたようだ。
そのような人には思えない話を、義兄の妻の葬儀の時に聞いた。
義兄の妻は中学時代の同級生であったが、その美貌は映画会社がスカウトに自宅まできて両親を説得するほどのものだったらしい。
しかし彼女はその誘いに応じることはなく、自分の好きな美術の道を選んだ。
義兄は大学1年生の時、大学祭に来てもらえないかと彼女の自宅を訪ねた。
誘いはしたが、彼女の返事ははっきりしたのではなかったらしい。
予定がなければ行ってもいい、というような返事であったらしい。
当日義兄はそれこそ固唾をのんで彼女を待ったことであろう
彼女は真っ赤なコートを着て来たそうである。それは本当に女優のような美しさであったらしい。バンカラな周囲の雰囲気が、一瞬にして華やいだものに変わったと義兄は言う。
あの真面目一方の義兄にそんな情熱があったのかと意外に思いもしたが、あの情熱を賞賛すべきである。
義兄は憲法改正に反対であった。反対しなければいけないと言っていた。
自民党の改正案を見て愕然としたらしい。ここまで平和憲法を踏みにじろうとしているのか。
人権が権力によってどのようにでも制約できる社会になってしまう。憲法改正論が前首相の死をきっかけに勢いを得ようとしている。兄は病床でどんな思いで過ごしたのであろろうか。
エンディングノートに従い葬儀は家族葬となった。
松本市郊外の山の中の葬儀場が葬儀の場となった。
家族と言っても息子夫婦、妹夫婦4人。幼い孫を入れても7人の葬儀である。
コロナの影響で葬儀場も極めて対応が悪い。
裏口に直結した粗末な狭い部屋に兄は横たわっていた。
いくらエンディングノートに、ささやかな葬儀を、と書いてあったとしても、ひとり息子が取り仕切った葬儀はあまりにも惨めなものだった。なにを考えてこんな惨めな葬儀をしたのか。
出棺に思わず名前を呼んだが、兄の目が開くことはなかった。
それは兄との別れが永遠の別れであることを知ることだった。(了)
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