どうやら夏は終わったようだ。なん度もこのブログに書いたが夏が終わればもう正月である。
今日は「敬老の日」。高齢者が「あの日にけえろう」と思う日である。
私にとって「あの日」はなんだろうかと考えたが、思いつくのは2つ。
20歳の頃、小学校4年のとき転校して以来の家内と、クラス会で再会した日。
もうひとつは資格試験に合格した日。
言い過ぎのところもあるが、人生が決まった日なのであるからそういうことになる。
若い頃に戻りたいという気はないが、高齢になっていろいろ病気を経験すると、若い頃に戻れるならちゃんと病気を治しておこうと思う。
社会的使命もやりがいもある大きな会社に就職して、充実した生活を送れれば成功した人生といえるが、中小の会社勤めではなかなか充実した人生というわけにはいかない。
私は自分の性分から、人に使われるのがとてもイヤだった。
40歳を前にして不動産業などの自営に転出したが、その決心をしなかったら今どんなにみじめな生活をしているだろうかと思う。
人生は自分の努力に関係なく、社会の動きで商売がうまくもまずくもなる。私の人生でやはり最も大きな事件はバブル崩壊であった。
バブルは町の零細不動産屋に大きな利益をもたらしたが、その崩壊後は壊滅的な不景気を社会に残した。
破綻を経験したから人生を乗り越えられたと言えば少々人生論的であるが、そんなことはない。人生は1%の努力と99%の運である。
高齢者と呼ばれるのはずいぶん先のことだと思っていたが、前期はアッというまに過ぎ、後期も4年目になる。
このまま歳をとったらどうなるのかと思ったら、超後期高齢者と言うらしい。
日本人の2人にⅠ人が罹患するという病気を経験し、杖をついて歩く毎日となった。少ない友人のほとんどが鬼籍に入ってしまった。
今日は敬老の日であった。娘が名店のうな重を届けるという。
若い頃うなぎは活力の元、この歳になるとなんと言ったらいいのか。
「夜のお菓子 うなぎパイ」というのがあった。発売した会社は、巷で言われるような意味で命名したのではなく、一家団欒を意図したものだというが、社名は春華堂。春画堂かと見間違えそうになったが、やはり何かを連想してしまう名である。
娘のうな重のお陰で、暗い敬老の日の話で終らなくて済んだ。
私たちの新婚旅行は熱海ではなく秋の京都であった。
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