今年も暮れていく。有難いことに大きな地震もなく、関東地方には台風も来なかった。 富士山の噴火も近いという話もあるが、とにかく無事に過ぎた1年であった。
「現代ビジネス」というネット記事が、日本の壊滅を予想している。多分間違ったことは書いていないと思うが、さりとてどうすることもできるものではない。
知人が何人も亡くなった。「まだ若いのにどうして」と訃報のたびに思うが、皆さんそれなりの年齢であった。70から80歳にかけて亡くなった人が多い。これも80の壁とかいうものなのであろうか。
窓越しに見かける人たちがみんな、本当のおじいさん、おばあさんになってしまった。
つい何か月前まで、毎週のようにゴルフに出かけていた人は杖を突いて歩いている。
亀のようにゆっくりでも、とにかく歩いていた人が歩かなくなってしまった。体が動かせなくなるということは、血圧や血糖値が上がるということである。体が弱っていくということはそういうことである。
今年は2人の宗教家が亡くなっている。大川隆法氏と池田大作氏である。大川氏は66歳と意外と短命であった。幸福の科学という建物を見ることがあるが、宗教内容については全く存じ上げない。
池田大作氏が生前集会で歌の指揮をする姿を見たが、まるっきり歌謡ショーの踊りである。扇子をもって歌に合わせて踊るというものである。
創価学会という宗教団体は、この楽観のみで成立しているということを実感する。
池田氏の死が報じられて以後、池田氏のカリスマ性を指摘する記事がずいぶんあったが違うと思う。池田氏は根っからの楽天家で、自分の権威とか威厳などということには無関心であったと思われる。権威などを装うような人間には、ネチネチした嫌らしさが付きまとうものであるが、池田氏にはそれがなかったと思うのである。
実業界では豊田章一郎氏と伊藤雅俊氏が亡くなられている。豊田氏は97歳、伊藤氏は98歳の死であった。自動車業界、小売流通業界において戦後日本経済を牽引した人である。
時代が人を要求するのか、人が時代を作るのか、いずれにしても大きく日本の社会が変わりつつあることは間違いのないことである。
今の社会を例えば「飽食の時代」というような言い方で表すとするとどういうことになるのだろうか。
「不安な時代」「混沌とした時代」「指針なき時代」というようなことになるのだろうか。「政治なき時代」になることは間違いないようである。
しかしウクライナでもパレスチナガザ地区でも虐殺が続いている。世界は傍観している。
久しぶりに正月は我が家に孫たちが集まる。この3年ほどの間に孫たちは成長してしまって幼児の面影もない。
若い人には新しい年にやるべきことが待っている。新年という言葉は若い人にふさわしい。高齢者には新年と言うより前の年の続きという感じである。
若い人たちが幸せになれる新年であってほしい。(了)
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