人 生 の 書      

つぶやき

 私には最も大切にしている本がある。三ヶ月章先生が著した「民事訴訟法」である。
 三ヶ月先生は東大の教授であり、細川内閣の時に法務大臣になった人である。私の合格証書の証明者でもある。

 30代の半ば頃、資格の取得のため受験することにした。
 試験科目に民事訴訟法が入っているが40問の択一の中で2問くらいしか出題されない。
 系統立てて勉強するのも時間のロスであるし、人によってはその科目をパスする人もいる。かといってこの1点か2点が合格の隠れたポイントだという話もある。

 とりあえず簡単な本で勉強を始めたがどうしても納得できない部分にぶつかってしまった。仕方なくちゃんとした専門書を呼んでみようと、本屋で一番難しそうな棚から選んだのがこの本であった。

 女房や幼い子供たちが寝てからが勉強時間である。私のような者が読み込めるようなものではないが、不思議と私の疑問に答えるために書かれたのではないかと思うほど、明快な文章が綴られていた。

 冬の深夜のことだった。私は汗をかいていた。三ヶ月先生の文章に感動したのである。一つ一つ納得できる内容であったということもあるが、旧説を批判し自分の信じる新しい理論を展開する三ヶ月先生の情熱あふれる文章に圧倒されたのである。

 後で知ったことであるが、その本を出版されたとき三ヶ月先生はまだ若い研究者であった。批判の相手は、民事訴訟法学の本流にいる東大の重鎮であり恩師である。

 私は初めて論理というものをこの本によって知った。それ以後大学者と言われる人たちの専門書をなるべく読むようにした。私には小説を読むより苦にならなかった。まったく無駄のない研ぎ澄まされた文章。素晴らしいと思った。

 専門書は単に知識が書かれているのではなく著者の人生観が書かれている。
 学者が全身全霊を込めて執筆する文章である。ハウツーものにはない筆者の魂があるのは当然のことである。

 家内は私の少ない所蔵書を、家が片付かないから捨てたら、とよく言う。中央公論社の世界文学全集などはいち早く処分されてしまった。いまさら読むはずはないというのである。言われてみればそのとおりであるが、しかし人生には捨ててはいけないものがある。
 それを捨てることは自分の精神を捨てることである。女性はどうもその辺のことが理解できないらしい。

私が人生を誤らず生きてこられたのは三ヶ月先生の本のお陰だと思っている。
 論理に対する信頼。商売のうまさには役に立たなかったが、まともに生きていくためにも、生き方を反省するにもいつも指針であった。

 三ヶ月先生の新理論は、裁判の現場において採用されることはなかった、と言われているが、論理の筋道をはっきりさせたことは明らかである。(了)

 

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