人相がいいからといって信用してはいけない

つぶやき

 35才のころから自営となったので、それ以後は会社における人間関係のわずらわしさや不愉快さに遭うこともなく、精神衛生上健康な生活をしてきた。

 会社勤めの不愉快は、責任回避しか関心のない上司がいたことである。上司は銀行の出身であった。失敗するなら仕事をするな、ということが身に沁み込んでいる人であった。

 この上司は、失敗したら全部自分の責任になるから仕事をするな、と言うのである。銀行は減点主義と言われることは承知していたが、ここまで人の生き方に影響しているものとは知らなかった。

 建築会社に7年在籍し、30歳前に、国の融資制度を扱う民間会社に転職した。私はここで同僚の狡猾さを知る。

 この会社はどうも国の融資制度を悪用するような会社ではないかと転職後気がついた。

 ある同僚とよく喫茶店で一緒になった。
 私は単純な頭であるから、会社のあり方なり上層部の考え方を批判をした。

 すると翌日に役員室に呼ばれ、私が同僚に話した内容がそのまま役員から出るのである。彼は社員の考えなり行動を逐一上層部に報告していたらしい。

 その後この会社と関連する大阪の会社が大阪地検の捜査を受け逮捕者を出した。
 私がいた東京の会社は国会で問題にされ、その後破産により解散した。この同僚はいち早く転職していた。

 私は人のよさそうな顔をしている人を信用する癖がある。他人を見る自分の観察力に間違いはない、と思い込んでいるからである。

 しかし今までの人生、私の観察力が見当違いであったということの方が多かった。裏切られたという場合もあった。

 人のよさそうな顔をしている人は責任感のない人が多い。
 人のよさそうな顔をしている人は他人に対して無関心である。人に関心を持つといい人相にならないのである。

 私の家を建てたハウスメーカーの現場監督はいい人相の人であった。この人なら安心だと私は手放して喜んだ。

 ところが現場の職人さんは大反対である。「あの監督の現場じゃまいったな」と来る職人みんなが言うのである。

 いい仕事をするにはいい人相なんかしていられない。いい人相の人は責任感も薄く、仕事もあまりできない人が多いようだ。

 自分でいい人相だと思っている人は一番警戒しなければいけない人である。このような人は人につけ入ることを知っている人だからである。(了)

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