1972年に、「ケンとメリー~愛と風のように~」という歌が発表され、その曲が車の広告に使われて、曲も車も大ヒットしたらしい。
今でも「ケンとメリーのスカイライン」という言葉を聞いたり目にするが、私はそれがどういうことなのか、つい最近まで全く知らなかった。
1972年といえば私は25歳。結婚していたが、この歌にも車にも記憶がない。
その当時は車の免許も持っていなかったし、免許を取って車を買おうなどという気持ちもなかったから、テレビでコマーシャルが流れていても、気にも留めなかったということだと思う。
40歳で免許を取ったが、それから車にはずいぶんと贅沢も無駄もしてきた。
子供の頃タクシーの運転手になりたいと思っていたこともあるから、車が好きなのかもしれない。
しかし私は何事にもそうであるが、こだわるということはなく、車のメーカーに関しても車種についても無頓着で、とりあえず「いつかはなんとか」という車を買えばいいと思っていた。
人には自分の好きなものというものがある。歳をとったら自分の好きなことをやって過ごしていくことが何より大切なことだとされている。
しかし好きなものというものは思ったより浮気性で、最初から最後まで一貫して何が好きだというのは、こだわりと言うより偏狭ということになり、好みは変わっていくことが自然である。
私は、自分が本当に何が好きなのかということが良く判らない。飽きっぽいというこ ともあるが、好きだと思っていたものが大して好きではないことに気つくことがある。欲しいと思うものは取りつかれたように手にするが、飽きるのも早い。
でも私は車が好きである。車を嫌いになったことはない。車の何が好きなのかと自問すると、車自体やハンドリングといったことではなく、「気分」ということに気がつく。
車の運転ほど開放感のあるものは人生にないのではないか。好きな物は飽きるが、気分は飽きるものではない。
不動産屋を開業していた頃バブルがはじけ、毎日無為の時間を送らなければならなかったが、その閉塞感から気を紛らすものは車であった。
今仕事をやめ、病気の治療に専念しているといっても、空虚感は否めない。ときどき無性にイラ立つことがある。それをしずめてくれるのは好きな音楽でも散歩でもなく車であった。
ゴルフの魅力は、人間の行動で一番物を遠くに飛ばせることにある、という話がある。
車の魅力は、人間には出せないスピードを体験することにある、という話もある。
ケンとメリーのスカイラインは、「愛と風のように」であった。
車は形のあるものであるが、愛と風という形のないものを人にもたらす。人を救うものは形ではなくいつも気分である。
「風に吹かれて」。ただそれだけのことだが、何かがある。
窓を開けっぱなしにして車を運転することはないが、風がなくても風を感じるのが車というものである。(了)
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