きのうはブログをお休み。朝の8時過ぎから5時過ぎまで病院にいた。
病気というものはいつも突然である。
検査漬けとなるが、こういうことを「粛々と進める」というのだろうか。粛々と進めるしかいくら考えてもしょうがない。
何度も「粛々と待ち」「粛々と結果を待つ」。いつものはすぐに過ぎてしまう1週間がことのほか遠い先のことのように思える。
日常的な言葉で気持ちを落ち着かせることができないとき、普段使わない漢詩のような言葉が気持ちに添う。今の気分は意味も知らずに「粛々」なのである。
「粛々」と言う言葉を政治家はよく使うが、その発言を聞く度にちょっと違和感を感じていた。
政治家の「粛々」には、「いろんな意見があることは承知しているが、我々は我々のやるべきことをやっていくだけだ」というニュアンスがある。
内閣総理大臣経験者である菅義偉氏が、官房長官のときに発した言葉が問題となったことがあった。
沖縄県知事・翁長雄志氏との会談や記者会見で、沖縄の基地移設に関して「工事を粛々と進めていく」と繰り返し発言したことである。
この言葉に対して「外部の声に耳を貸さず、政府の方針を淡々と進める」という冷淡なニュアンスが含まれており、誠意が感じられない」と人々は批判した。
菅官房長官個人に対しても、「言葉の使い方を知らない。教養がない。本当に大学を出ているのか」などという批判もあった。
「粛々」はどんな意味に使うものなのか。
「粛々」といえば 「鞭声粛々夜河を渡る」という詩吟・川中島の歌い出しのフレーズである。私もこの詩で粛々」という言葉を知った。
この詩は川中島の戦いで、上杉の大軍が武田軍に気づかれないように静かに馬に鞭を打って、ひっそりと夜の千曲川を渡ったという故事に基づいている。
そうであれば菅官房長官は言葉を誤用しことにならない。「相手に気付かれないうちに工事をしてしまおう」ということなのであるから、間違ったことを言ってはいない。
しかしやはり「粛々」にはそういう意味に使ってほしくない言葉の響きがある。
人生、慌てず騒がず急がず叫ばず、時の流れに身をまかすほかない時がある。
「粛々」とはそういうことなのではないかと思う。
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