人生何が分ればいい

つぶやき

 わかるを漢字にすると「分かる」「判る」「解る」と3つになる。いつもブログを書きながら迷う。
 要は、何がわかりたいかでわかるが決まる、ということらしい。しかしすべて「分る」でもいい、という説明もある。

 昨年仕事をやめるときまで、「人生如何に生きるべきか」、ということを考えたことはあったとしても、「人生何を分かって生きるべきか」、ということは考えたこともなかった。
 人生、生きてみなければ分からない、という意味で言っているのではない。何に気を留めて生きていくか、ということである。

 阿部アナウンサーも黒岩知事も「人生失敗したな」、と思っているかどうかは知らないが、もし失敗したと思っているなら、人生何が一番大切なものであるかを分かっていなかった、ということになる。

 しかし教養も知性もある人たちである。分っていたはずである。ただ男性にとって女性との関係は頭で考えられるものではない、ということが、あの人たちにとって不幸な事であったのだ。女性は知性や理性で接するものではない。

 「人生何を分かって生きるべきか」、ということを思いもしないし、考えたこともなく生きてきたのに、なぜこの言葉をここに書いたかということであるが、妻に言われているのである。「何が大切なものか分かっていない」と。

 この歳になって、時折若い頃の私を批判する。積年の思いというのはそういうものであろう。私は家族を大事にしなかった。それを今「何が大切なものか分かっていない」と責められているのである。

 私は他人に対して気前がいい方である。生活費に困っていても人を歓待し金を使ってしまう。性分ということかもしれないが、考えが浅いということである。

 私に言わせると妻は薄情である。もちろん私が今日客が来ると言えば精一杯の料理を作ってもてなすが、今日客を呼びたいと相談すると、何も呼んでまでご馳走することはないと断られる。そのようなことから薄情などと妻に対して思うが、妻の考えが正しい。
 女性は地に足がついている。生活というものを男以上に実感しているからである。男は何も分かっていない。

 人間歳をとって分っていいことは穏やかに生活していくことだけだ、と妻は言う。楽しく、静かに、穏やかに暮らしていければそれで十分。面倒なことや、事の黒白、仕返しなどはどうでもいい、と言うのである。私に言わせれば仙人であるが、これは正しい。

 妻は人生何が大事なことか最初から分かっていた。私はずいぶん妻には大事にされた。(了)

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