子供の頃「人に使われているようではダメだ」という大人の会話をよく耳にした。昭和30年代の初めのころのことである。
今の時代背景とは違うが、その時でも、やはり人に使われているようではだめなのである。
ある専門学校で講師をしている人が「学歴の高い人ほど人生を狭くする」という話をしていた。学歴のない人だって人生を狭くする。学歴の高い人は職業を選ぶから人生が狭くなるということである。
後で知ったことだがこの講師は某国立大の出身であった。こんな専門学校の講師をしていることは、人生を狭くしたということなのか。
人に使われないということは自分で商売をすることである。もちろん大企業の経営者ということではない。居酒屋、飲食店、スナック、不動産屋、小規模な建築屋、等々いくらでもあるが、要は大きな資金を必要としない小規模なものである。
自分で商売をする理由(わけ)にはいろいろあるが、誤解されることを承知で言うと、それしか生きる道がないからである。私も含めて私の知る自営業者のほとんどが人に言えるような学歴は無い。社会によって人生を狭くされるから、自分でやらざるを得ない人たちである。
自分で商売をやらざるを得ない人が商売を始めればうまくいくかというと、もちろんそんなことはない。うまくいくかどうかは能力と努力と、そして運と時代の風である。
自分で商売をやらざるを得ない人は、人に使われている人よりも努力家であることは言える。あとがないから努力せざるを得ない。そのことが結果として成功につながっていることが多い。
私は仕事を通じて不動産屋の知り合いが多い。不動産屋になった人は、「不動産屋にでもなって一山(ひとやま)当てたい」と思っている人たちばかりである。
人間的にはあまりいい人はいない。酒好き、博打好き、女好きが多い。
バブル崩壊後の低金利政策は不動産業や住宅建設業に大きな利益をもたらした。
わずか20数年前に居酒屋やポルノビデオの商売に失敗して不動産業に転身した人が、今は超富裕層と呼ばれる人生を送っている。人生わずか20数年で挫折を取り返し、超富裕層になれるのである。いい時代であったのである。
やはり低金利時代というものは自営業者に大きな利益をもたらした。バブル崩壊で会社を倒産させた人間がまた社長をやっている。
居酒屋やビデオ屋で食いつないでいた人が建売業でひと財産を築き、韓国人の女性を愛人にしている。やはり人に使われていてはダメである。
会社が奮発して多めにボーナスを出したとしても、自営の連中はその何倍もの収入を毎月得ている。人に使われていたのでは金にならないのである。
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