「人生かん」には人生観と人生感があるように思う。
人生感は人生観の誤字であるということなので、「あるように思う」と書いたのだが、言葉というものはその言葉が何かを表現していれば正しいも正しくないもない。新語などというものはもともと誤字であった。
人生観は生き方であり、人生感は実感することである、ということが言える。人生は感だらけである。
若い頃は劣等感や正義感。社会においては違和感 不快感、空気感。
老境ともなれば達成感、満足感、喪失感、孤独感、失望感と人様々となる。
私の人生には幸いなことに、ささやかに満足感も達成感もあったが、一つないのがある。高揚感である。
満足感も達成感も結果のことであるが、高揚感は行動自体に関してのことである。
俳優さんが、例えば弁護士になるべく大学の法科に入ったが、やはり演劇がやりたくて役者の道に入ったという話をよく聞く。役者の世界というものは高揚感そのものではないか。
思い返すと高揚感というものを味わったことがない。唯一私の人生におけるエポックである国家試験合格にも高揚感はなかった。やれやれ、これでひょっとしたら食べていけるかもしれないということだけであった。
高揚感は生きがいというものに結びつくことが多い。これからの人生に高揚感はあるだろうか。高揚して脳溢血や心筋梗塞になっても困る (了)
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