ドラえもんの声を長く担当していた大山のぶ代さんの記事を見たせいか、二人の男性俳優を思い出している。
ひとりは砂川啓介さん。もうひとり高津住男さん。おふたりとも病気の妻を献身的に介護しながら、妻より先にご自身が癌で亡くなられてしまった。
言うまでもなく砂川啓介さんの妻は大山のぶ代さん。高津住男さんの妻は真屋順子さんである。
大山のぶ代さんは直腸がん、脳梗塞、心筋梗塞を患い、79歳の時にアルツハイマー型認知症を発症している。砂川さんは大山さんが84歳の時、尿管がんのため80歳で亡くなった。
大山さんの認知症にはずいぶん苦しんだようだ。在宅看護をしていたが、何より下の始末がどうしようもなかったらしい。紙おむつは正常な人がはけるもので、認知症の人には気持ちの悪い異物でしかない。
真屋順子さんは58歳の時脳出血で倒れ、大きな後遺症が残る体となった。高津住男さんは74歳の時肝臓がんで亡くなるが、その7年後真屋さんが75歳で亡くなる。真屋さんはバラエティ番組で品のいいお母さんを演じていた。
体の不自由な妻を残して死んでいかなければならない。どんなにつらい思いをした死であったろうか。高津さんは誠実な役柄の多い人だった。
皆さん華やかな時代を過ごした人である。人生とは何かと思う。
東海林さだおさんを久しぶりに拝見した。私が若い頃から最も敬愛するエッセイストであり漫画家である。エッセイストと言うより文章家と言った方がいい。私よりちょうど10歳年長である。
2回の脳梗塞を経験されたということであったが、幸い軽い症状のようでなによりである。何年か前には肝臓がんを発症されていた。『ガン入院オロオロ日記』に詳しい
東海林さんは漫画家として出発した人であるが、文章の達人でもあった。ショージ君やアサッテ君などの漫画の単行本より、エッセイの単行本の方が発行部数は圧倒的に多いようだ。
初めて4コマ漫画のアサッテ君を新聞連載するとき、「今日もダメ、明日もダメ、でもアサッテならなんとかなるんじゃないか」、と書かれていた。東海林さんの言葉に人間愛があるとは思わないが、生きていくことに納得する。
青春を描いたもので最高傑作と言われる「ショージ君の青春記」の、ある部分が特に好きである。ショージ君は、確固たる意志をもって大学を中退したのではなく、なんとなく行かなくなったということで中退ということになるが、漫画家として身を立てていこうとは思う。しかしなかなかうまくいかない。一生懸命にやらねばと思っても、どうしていいのか分からない。
悶々とした生活を送っていたとき、早稲田の漫研の友人である福地泡介の家を訪ねると、玄関先に牛乳瓶が配達されている。福地泡介はすでに結婚していた。ショージ君は牛乳瓶を見て、「漫画という不確かなものを、牛乳という確かな生活に変えている」と思う。人生を実感させる素晴らしい言葉である。
それを機に自分もやらねばと決心を固めるが、漫画が書けない。でも漫画行商人として少しずつ認められていく。ある日、漫画雑誌の編集長から「これからは連載で行きましょう」と声がかかる。ショージ君は連載が信じられない。
「連載というと毎回載る連載ということですか?」
「そうです。毎回載る連載です」
「すると切れ目なく毎回毎回載る連載ということですか?」
「そうです。切れ目なく毎回毎回載る連載です」
「すると連載ということですか?」
「そうです連載ということです」
思い出すままに編集長とのやり取りのシーンを書いたが、身につまされる。
東海林さんはビールが好きである。東海林さんがビールと言えば、つまみは串カツである。このところビールがまずくなったと話されている。東海林さんには元気で、あふあふと串カツを食べながら、ビールをいつまでも楽しんでほしい。
今日の午後はがんの定期検診。手術後1年8ヵ月が過ぎたことになる。私のがんは2年以内の再発・転移が多いと言われている。あと4ヵ月。ショージ君のように、がんはオロオロするばかりである。
朝、湯につかりながら、組曲3番のシリチアーノを口ずさんでいた。なめらかには歌えないが、口ずさむことはできる。たゆとう8分の6拍子に心が落ち着く。いつの頃かを思い出すこともなく、茫漠と昔のことを想っていた。 (了)
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