人生はペーパーテストではない

つぶやき

 ここ何日かの間に、各地で入学式が行われたようだ。
 昔は入学式の頃に桜は咲くものであったが、桜の開花が早まり、ずいぶん前から桜は卒業式というイメージになった。

 しかし今年は去年より2週間も遅い開花となったことから、満開の桜の下での入学式となった。小学校の入学式にはやはり桜が咲いていた方がいい。話題となった大学も入学式終えたらしい。日大と近大。

 日大の林真理子理事長挨拶で、「昨年大きな不祥事を起こしました。そうした中にあって日本大学を信じ期待してご入学された皆さんには心から感謝しています」と不祥事について言及した。

 やはりこの人は理事長などにならなかったほうがよかったと思う。人間立ち位置が大事である。苦渋に充ちたあの人のはあまり見たくない。
 日大は、一般選抜の志願者数、前年比万人以上減らしたらしい。
 
 一方近大では、先日自民党を離党した世耕議員が理事長として8000人の新入生を前に「変化の激しい社会における自分の立ち位置をしっかり把握して……」などと挨拶した。近大の創立者は世耕氏の祖父とうことである。

立ち位置という言葉に違和感があるが、世耕氏はあえてこの言葉を口にしたので
はないだろうか。自民党から離党勧告を受けた立ち位置になんの誤りはない、ということを言いたかったものと思われる。
 
 いろいろ批判のある人であるが、近大の理事長も国会議員もまず辞めることはないだろう。彼は学者でも商人でもなく目立ちがりやの権力志向者である。

 世耕さんは近大の出身ではなく早稲田である。近大ではダメだ、ということ大学受験時には分かっていた人である。

 近大という大学をほとんど知らないが、少し調べてみると日大似たようなところがある。学生数の多さや、医学部まであるマンモス大学である。

大学は学問の府
ということになっているが、どうも日大や近大を見ていると商売の府という気がしないでもない。

 世耕さんは近大に行かなかった。平成天皇の心臓手術をした天野医師は日大の出身である。これが不思議でならない。こう言っては日大に失礼であるが、なぜあのような素晴らしい人が日大なのか。

日大は、私の中学校の同級生の、あまり成績の良くない生徒が行く所であった。大学に入れないような人を、大学生にしてくれる大学である。


 天野医師は埼玉大学付属中学から埼玉県立浦和高校に進んでいる。浦高と言えば名門中の名門。神童と呼ばれたらしい。

しかし高校生の時、勉強はいつでもトップになれると麻雀やパチンコにのめり込んでしまった
と自ら述べている。

3浪して日大医学部に合格するが、他の大学を受けたのかどうかは自伝に
書いていない。日大医学部を3回目に合格したのかも分からない。
3浪して受かった大学が日大だけだった、と言うことも自伝には書いていない。

 まさか東大合格者を多数輩出する浦高出身者が、日大を目指すはずがない。よっぽど高校時代遊んでしまったのだろうか。

 当時の偏差値は50無かったというが、その当時としてはどの程度だったのか私にはない。当時医学部の受験生で3浪はいい方だったらしい。5浪や6浪はザラいたらしい。

 その天野医師が東大医学部の医師を差し置いて天皇の心臓手術を執刀する。学問の府にいるより現場経験を重んじた結果である。
東大医学部にしては屈辱的なことであったはずだ。
  

 大学には、東大から名もない大学までいろいろある。いい大学に入ればいい人生が送れるならば、みんないい大学に行けばいいそうもいかない。

人生なんとかなるのは、
人生はペーパーテストではないからである
 しかし人生にはペーパーテストの時期というものがある。その時期にはできだけの努力をした方がいい。()

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