人生は死ぬまでの暇つぶし

つぶやき

 10代のころ印刷会社で文選工をしていたことがある。
 ある日その会社の社長に呼ばれ、今度外国の印刷機を入れることになったからそれを担当してくれ、という指示を受けた。

 文選というのは活字を拾うことであるから印刷機械の操作とは何の関係もない。全くの素人をなぜ担当にするのかと思ったら、説明書が英文であったことと、ベテラン職人に対する当てつけであったらしい。

 夜学に行っているのだから英語が判るはずだし、これからはこんな素人の学生でも印刷ができるのだ、ということを古くからいる職人に示したかった、ということらしい。

 それから私はその印刷機械の日本販売代理店というところに何度か通って操作手順を教わり、なんとかオペレーションができるようになった。その印刷所にはない自動給紙による先端技術の印刷機である。

 結構苦労したが何か月後には一通りの印刷ができるようになった。
 ある時インクが紙に綺麗に印字できないトラブルが生じた。インクが紙に浮いているから触ると紙が汚れてしまうのである。インクも印刷後は乾かすということがあるが、そういうレベルのことではない。

 マニュアルを読んでもそのような事例は出てこない。いろいろ考え、いろいろなことしたが原因が分からない。社長さんに相談しても判らない。

 そんなことで困り果てていると通りかかった年配の職人が、「インクローラーのレールに油がついているから空回りしているのだ」、と言う。「ではどうしたらいいのか」と聞くと、「決まってるじゃねえか、油を拭きとれば済むことだよ」と言う。その通りであった。判ってしまえば簡単なことである。

 その職人にお礼を言うと「学校じゃこういうことは教えてくれねえからな」と面倒くさそうに私の顔を見ることもなくつぶやいていた。
 人生初めて他人に助けられた経験であった。

 私にとって人生の言葉とはなんだろうかと考えると「思い込み違い」という言葉が浮かぶ。

 バイオリンに苦労したのも、1回で国家試験に受からなかったことも、小学校の工作で電池モーターが回らなかったのも、プロペラ飛行機が飛ばなかったのも、みんな思い込み違いからであった。

 こう書くと必ず言われるから書いておくと、女房は思い込み違いはなかった。思った通りの人であった。

 「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉があるらしい。流行っているのかどうかは知らないが、なるほど面白い言葉である。
 私も残りの人生の暇つぶしに、なにか言葉を考えておきたい。(了)

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