大川橋蔵さんの奥さんと息子さんが今日の「徹子の部屋」に出演するという記事を見て、きのうから橋蔵さんを思い出していた。
 人気役者が突然という印象でこの世から姿を消してしまった。橋蔵さんは1984年に55歳の若さで亡くなっている。亡くなって41年。
 死因は結腸癌から転移した肝がん。役者として絶頂期のことである。
 
 体調不良を訴えたのは前年の9月。1年と数ヶ月で亡くなったのだから病状はかなり進んでいたことになる。
 「大酒も飲まず煙草も喫まず、食事にも気を遣い、いつも腹に健康帯を巻いてきた私が、何故こんな病気になったんですか!?」と医者に訴えたという。 
 橋蔵さんの気持ちが痛いほどわかる。
小学校の低学年の頃、橋蔵さんのデビュー作である「若さま侍捕物手帖」を江東楽天地のキンゲキで見たことがある。顔を扇子で隠し、片肘をついて横になっていた姿から振り向いた顔が初めて登場するシーンであった。
テレビでの銭形平次はあまり見ていないが、格調を感じさせるシリーズだったように思う。まさか、大川橋蔵ががんで死ぬとは信じられないことであった。
私の世代で早世した人気役者はもう一人市川雷蔵さんがいる。1969年に直腸がんから転移した肝臓がんのため37歳で亡くなっている。橋蔵さんと病気が同じである。
 雷蔵さんは大量の下血から自らの病気を知る。下血となってはがんは末期。発症から1年にもならずに亡くなっている。
 
 37歳で亡くなったということを知って、多くの映画に出演していたことからあらためて若すぎる死であることを知った。
がんは高齢になって発症するものと言われるが若い人のがんも多い。何か本質的な部分が違うのだろうか。小児がんはどういうことなのか。
人の死やがんのことは「縁起でもない」ということになるが、夫婦揃ってがんを経験すると考えざるを得ない。と言ってもがんについて考えることができるわけではない。
 人間元気なうちに自分の死を考えざるをえない病気はがんということになる。
 「この世から自分がいなくなる」「この世から妻がいなくなる」。考えるのはそんなことだが、そんなことが自分の死のすべてのような気がする。
この歳になると芸能人や知人の死に遭うことが多くなるが、他人の死を自分のこととすることはできない。他人の死は「出来事」に過ぎないことになる。
体調が思わしくなく、病院に行ったら余命宣告を受けたという知人が何人かいる。夫婦でその余命の時間をどう過ごしたのだろうかと思うが、当事者の思いを共有できるわけではない。
自分の人生は、自分の身体と意識を通して刻まれる。この体験が「人生」であり、他者の人生はその外側にある風景に過ぎない。
これは冷淡な独善ではない。人生とは、結局のところ「自分のこと」である。

  
  
  
  

コメント