京都のひとり住まい

つぶやき

 息子が転職するかもしれないという話は、今年の春過ぎから家内から聞いていた。

 大学を出てから大手と言われる民間金融会社に勤め、部長職に昇進したと聞いていたが、京都の私立大学の職員としての仕事に関心を持ったようだ。

 転職について相談を受けたことはない。転職となれは単身赴任となるらしく、そうであるならくれぐれも酒と女に注意するように、ということは言った記憶がある。

 息子の京都での単身生活が始まったようである。家内のメールに京都での生活と自炊の料理などについて連絡があったようだ。

 「生き馬の目を抜くような」と言われる民間会社の仕事と、学生さえ集まれば年間授業料で成り立つ大学経営。どちらの人生が人間として豊かなのか。

 どちらがより人間的ということは言えまい。大学の職員という仕事は、生き馬の目を抜かなくて済む、ということであり、人間のいい面だけを見て過ごせる職業であるということも言える。

 息子の転職にいちゃもんをつける気はない。そういう仕事について、人生楽しく、人間の汚い面を見ないで済む生活ができることは、彼の人格によることかもしれない。私にはしたくてもできなかった。

 息子とは子供の頃からあまり話をした記憶がない。息子は直観的にマイナス思考の父親を避けたのかもしれない。
 それが今紅葉の美しい京都で花開いたようである。
 
 金貸し、不動産屋。批判する気はないが、人格は職業によってつくられる。
 稼ぐことに頑張らなくても生きていける人生であることを、父親としてはうらやましく思うだけである。
 

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