久しぶりの散財

つぶやき

 渋谷の東急デパート本店が閉店した。開店してから55年だそうである。もったいないなと思う。

 東急田園都市線、京王井の頭線を客層に持つデパートである。なんで閉店なのかと思うが、時代が変わるということなのだろう。

 開店したころを覚えているが、駅からずいぶん離れているな、という印象があった。

 学校を卒業して勤めた会社は道玄坂にあったが、東急デパートは会社からは渋谷の駅と反対方向にあり、赤坂に本社を移転するまでの5年ほどの間に、一度くらいしか行ったことがなかった。

 実は道玄坂とはどこを言うのか良く分からないのである。渋谷駅からスクランブル交差点を渡って109を正面に見ると、道路は二手に分かれる。

 右手はは東急本店、松濤に向かう道。くじらやや玉久がある緩やかな坂道である。
 もう一方の左手は神泉方面に向かう右手の道より広い坂道である。

 どっちかを道玄坂と言うのか、両方を道玄坂と言うのだろうか。この町に何年も通ったのだが、なぜか分からないがあまり親しみを感じない。ハチ公などもあるのだが、なにか遠い町に思えるのである。

 私の住む町にあった唯一のデパートも何年か前になくなり、池袋もその顔とも言うべきデパートが、電気製品などの量販店に変わるという話がある。
 変わってしまえば簡単に目も気持ちも慣れるのであろうが、やはり寂しさを感じる。

 デパートには華やかさがあった。今の時代からすれば効率が悪いということになるのであろうが、効率が悪いことが華やかさである。

 天井がむき出しのような店舗には、効率はあっても楽しさがない。デパートには、何が出てくるか分からない、という玉手箱のような楽しさがあった。

 なるべく出かけるようにしているが、ドライブくらいなものである。

 圏央道ができて以来、関越道や中央道に出るのが便利になったが、何年か前からは東北道や常磐道に出るのも便利になった。今まで行くことのなかった行田市とか羽生市に、簡単に行けるようになった。
 
 きのう、関越道の花園に昨年の秋開業したアウトレットに行ってみた。2カ月ほど前に行ったが、家から適当な距離にあり、少し遊んでも暗くならないうちに帰れるところをドライブの目的地としているので、私たちには都合のいい場所である。

 広い敷地であるから歩行練習にはうってつけである。普通日というのに駐車場はかなりの混雑であった。

 お金を使い、物を買う楽しみというものはある。何年か前までデパートに行けば、スーツやジャケットが欲しくなり、考えもせず買ったものだが、引退してみると、着る機会とか、もったいない、ということがまず頭に浮かぶ。

 アウトレットというのはどういう店のことを言うのか知らないが、ブランド品でもデパートで買うより安いらしい。しかし若者向きばかりのショーウインドーである。

 色合いのいいハーフコートが目に留まった。店内に入ってみて、買ってもいいかな、と思った。定価の半額である。冬物の処分のようである。

 店員さんが試着を進めるので着ていたコートを脱ごうとしたら「コートは何着も持っているでしょ。どこに着ていくのよ」というタイムリーな妻の言葉がうしろからあった。

 そう、洋服はどこに着ていくのか、という目的的、経済的な考慮が必要である。しかしなんでもそうであるが、それを買ってどうするのか、ということではなく、買いたいものは買いたい、というのが買い物である。

 店員さんが一生懸命に説明してくれる。最近不愛想な店員さんや病院の受付嬢などを見ているせいかこういう女性を見ると感動する。

 もちろん店員さんは売るために熱心なだけであることは分かっているが、なんとか買ってあげたいという気になる。でも買っても着る機会もないだろう、と迷っているとき「試着は結構です」という気丈な妻の声がまた聞こえた。

 せっかく親切にしてくれた店員さんのそばを離れたその先に靴売り場があった。とても色合いのいい私好みのブラウンの靴があった。

 歩かなければならない生活をしている。靴なら何足あってもいいじゃないか。それに店員さんのためにもなる。

 私に合うサイズをバックヤードに何度も行き来して見つけてくれた。いい娘さんである。もう一人息子がいたならお嫁さんにとも思う。白いジョギングシューズを買った。

 昼食はフードコートがひどい混雑なのであきらめ、そば屋にした。ここも混雑していたが実に手際がよく、喧騒を感じさせない。店員さんの対応も丁寧である。

 年寄りは店員に文句を言うというがそんなことはない。いい接客をされればこちらもいい年寄りとしてそれなりの対応をしようという気になる。

 「相席になりますがよろしいですか」と丁寧な言葉づかいで聴かれれば、分別のあるどこかのご隠居様のような振る舞いもできるというものである。

 年寄りが怒り出すというのは相手の対応が悪いからである。相席には私たちより年長と思われる方が食事をしていた。一応の挨拶をして席に着いた。

 おいしいそば屋である。前回来たときこのそば屋の前にある寿司屋に入ったのであるが、その寿司の形の悪さに思わず「ひでえ寿司だ」と叫んでしまった。

 高校生のような若い店員が握ったものであるが寿司になっていない。ここは回転寿司屋ではないが、寿司文化はとんでもなく衰退していると思う。

 生ものをご飯の上に乗っければ寿司になるというものではない。それぞれ形が異なり、扱いを間違えれば汚らしい食べ物になってしまう具材を、いかに美しく形よく盛り付けるか、それが寿司である。

 一つ二つつまんで妻を残してその店を出た。そば屋で口直しをと思った。ひどい寿司を食べた後である。この店も格好ばかりで大したことはないのだろうと思いながら、もりそばを注文した。それが実にいい。江戸っ子風に言えば「こりゃーてんでうめえや」ということになる。この日で二度目ということになる。

 妻は天せいろ、私はいつもの通りもりそばを注文した。混んでいたが、もうそろそろかな思っていた時そばが運ばれてきた。

 はやる気持ちを抑えて、おもむろにゆっくりと品よく食べるように気を使った。妻が一口食べておいしいという。私もうなづく。

 食べ終わって妻が、洗練されている味、と言う。そうなのだ。私もそう思った。そば一枚に「洗練」があるのだ。

 帰りの関越道をスポーツモードで走った。車体が先に行き、体が残るような感じである。昔のポパイの漫画のようである。

 関越道から圏央道に入り、そこを降りると道路はぬれていた。かなりの雨が降ったらしい。今日は靴を買って贅沢なそばまで食べた。久しぶりに散財をした気になった。(了)

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