エリザベス女王の葬儀が終わった。土葬なのだろうかと気になって調べたら土葬だった。
国葬に関して日本では二階元自民党幹事長の発言が尾を引いた。「日本人なら」という発言が炎上したらしい。こんな言い方がまだこの世の中に残っている。二階氏は絶滅危惧種と言われているそうだが納得である。
「反対する人も国葬をやって良かったと思うはず。日本人なら」。
国葬に賛成も反対もみんな日本人なのだから、良かったと思わない人はどこの国の人だというのか。
ほんの前まで剛腕と言われた人である。党の金庫を握り、訳の分からないことを口にするのだから、それはどうしようもない剛腕と言うしかない。
あの顔つきに、二階氏のすべてが出ている。貧相この上ない。
日本は法治国家というが本当にそうだろうか。裁判の結果を国が守らない。特に安倍政権のときがひどかった。安倍さんは、 何をやっても国民はすぐに忘れてしまう、ということを政治信念として政治を行った人だ。
民主主義の指導者にとって一番邪魔なものは民主主義である。
安倍元首相は「国民は忘れてしまうものだ」を力にして、邪魔な民主主義を排除する法律を作って来た人だ。
森友学園問題で自殺した赤木俊夫さんの妻が、佐川元理財局長を公文書偽造等の罪で刑事告発した。象に挑むアリのようだ。
民事裁判では国は赤木さんの請求を認諾した。審理を打ち切らせるための請求認諾である。国は法を尊重するどころか悪用している。
安倍元首相は今は亡く、佐川元理財局長もその後国税局長に栄転してから辞職している。しかし有罪となれば国が犯罪を犯したことになる。個人のやったことだ、では済まないだろう。検察は起訴するだろうか。
「私は北野武という男が嫌いである」という書き出しで始まる記事を読んだ。どこかの雑誌の編集長をやっていた人が書いたらしい。内容は覚えていないがこの書き出しには共感する。私もこの書き方を真似て言いたいことがある。
「私はさだまさしという歌手が嫌いである」。頭のいい人のようだから、嫌味の一歩手前でそれを避ける手立てを知っている。そうであっても「よくもまあこんなことまで恥もなく歌にできるなあー」とあきれる歌を歌い続けている人である。
ところがあきれるを超えて、やっぱりと思える歌を作って、歌ってしまった。何年か前にNHKのラジオ番組で聴いた「君は歌うことができる」という曲である。
私はこの時の1回しか聞いていない。いままで隠していたものが隠し切れず、とうとう全部吐き出してしまったという曲だ。
やってはいけないことをやってしまった曲である。この人の本質がなんであったか、すべて分かる曲である。音楽の分かる人なら。
WBCという野球大会で日本のチームは「侍ジャパン」という。オリンピックで銀メダルを取った4人のチームは「リレー侍」と言うそうだ。そういえばグランドに出るとき、4人はそろって刀を腰から抜くような仕草をしていた。
年寄りのいつもの癖でいちゃもんを付けることになるが、この侍という言葉に、どんな意味を込めて名付けたのだろうかと、この名称を見るたびに考えてしまうのである。
侍は武士であろうが、武士としてのイメ―ジは浮かばない。甲冑の印象がないからである。
侍といえば浪人が思い浮かぶが、浪人ではみっともない。侍は強いから侍としたのだ、ということかもしれないが、サムライという言葉には強いというイメージはない。
サムライが国際的に知られるようになったのはハラキリである。国際試合で使う名称である。国際社会に何か誤解を与えてはいないだろうか。
どうやら残った夏も終わった。台風一過と言うが今回はそうでもない。九州、中国地方には大きな被害が出たようだ。暮らしにくい時代になりそうだ。
円安、物価高。値上がりも累算すれば年間で10万円くらいになるという。コロナで政府もずいぶん金を使ってしまった。国民救済の政策よりも増税が先になるのではないか。
首相が外国に行って何十億か何百億ドルかの経済援助を申し出るたびに、そんな金があるなら国内の困っている人たちに回したらどうだと考えてしまう。
奥さんとの海外旅行を楽しむための手土産のように、援助をばら撒いた首相もいた。
日本は長く世界各国に援助をしてきたのに、国際的に感謝とか敬意を受けたことが無い。陰口を叩かれていることも知らず、都会の土産を配れば故郷に錦を飾った気になっているバカ息子のようだ。(了)
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