自分では思ったことも考えたこともないのだが、私はどうも人相が悪いらしい。いつも不機嫌そうに見えるらしいのだ。
若い頃、家内が友達から、「なんであんな人相の人と結婚するの」と訊かれたらしい。
私は普通にしていて二枚目だと思っているが、どうも人に与える印象はきついようだ。
写真を撮る時仕方なく作り笑いをすることがあるが、自分では笑ったつもりでいてもまだ怖い顔のようで、ここまで作り笑いをしたらやりすぎだと思うほど笑ってみると、それが普通と言われる。それほどひどいものであるらしい。
≪だから東京は「機嫌が悪いおじさん」で溢れている…「どこにも逃げ場がない国」日本が抱える深刻な問題≫
と題する養老孟司さんと名越康文さんの対談記事を読んだ。
【編集者】都内に住んでいる人、働いている人の表情を見ていると、怖い顔しているなと思うことないですか?
【名越】思いますよ。だから僕なんか、他人の顔をあんまり見ない。この20年ぐらいかな、他人の顔が怖くなったね。最近は不満げな感じ。なかには寄らば切るぞみたいな人もいる。
【養老】それは感じますよ。講演に行っても、なんでこんな機嫌悪いんだろうと思う人がいるよね。1時間喋ってる間、機嫌の悪いじいさんは何を話しても機嫌悪いまんまなんだよ。そんな顔するぐらいなら寝ててくれないかなとか思うんだけど。
(PRESIDENT Onlineの転載)
不機嫌な年寄りや切れやすい年寄りが増えているそうである。私などは両方兼ね備えているようであるが、兼ね備えるものは彩色であった。
対談の中で「街の構造からして、逃げ場がどんどん消えてますね」という指摘があった。
養老さんは愛煙家らしい。「タバコも吸えない。異常だよ」とおっしゃっている。
私は7年前にタバコをやめたが、確かに今は広い公園でさえも、「敷地内禁煙」である。敷地内であれば駐車場の車の中でもダメらしい。
外に出れば公道は当然歩行喫煙禁止。先日立川の合同庁舎に行ったら、「喫煙所廃止」の貼り紙がしてあった。家を出たらタバコを吸うところがないことになる。
何か余裕が無くなっているような社会になっている。
不機嫌そうな年寄りが増えるのは当たり前のような気がする。無理して機嫌よくすることもない。
気持ちをいつもフラットにするには人と話をしないことである。人の顔を見ないというのも有効である。
それでは世界を狭くするということになるが、もともと人生は狭いものである。広くしようとするから不愉快になるのである。
コメント