毎晩一人酒である。歳のせいなのか、人を誘って飲もうという気は全くないし、誘う人もいない。
酒が入ると歩きにくさが増すので、外で飲むこともなくなった。
夕方の酒がなによりの楽しみとなったが、肝臓などのことを考えると、はたして楽しみにしていいものかと少しは迷う。
中学生の頃だったと思うが、「一人酒盛り」という落語にえらく感心したことがある。もともと関西落語の話らしいが、六代目円生の切れのいい語り口が好きである。
「いい酒が手に入ったので、飲み友達は大勢いるが、留さん、あんたが一番気が合うから一緒に飲みたいと思ってさ」と熊さんが留さんを誘う。
留さんにお燗や肴の用意をさせながら、結局なんだかんだと言って、熊さんは留さんに一杯も飲ませることなく、自分だけで五合の酒を飲んで酔っ払ってしまう、という話である。
熊さんは悪意で留さんに酒を飲ませなかった、ということではなく、酒飲みの意地汚さというものがそういうふうにさせた、と聞く者に思わせるのが語る者の上手さである。
オチは、留さんが怒って出で行くと、近所のおかみさんが、「チョイと熊さん。今留さんが怒って出ていったけど、なにかあったのかい」と聞く。
これに対して熊さんは、「なんでもない。あいつは酒癖が悪いんだ」
昨日、人生最後の車と思われるグリーンの車が届いた。
ディーラ―の店長と担当営業マンに、モエ・シャンドンのロゼ。店の従業員15人にタカノフルーツパーラーのスイーツを届けた。
我ながらお人好しと思うが、他の店ではできない配慮をしてくれた。江戸っ子の気性があるのか、こういうときは金を使わずにはいられない性分である。
キャッシュバックがあるということで、そのおすそ分けであると自分を納得させての散財でもある。
少し慣らし運転をして、夕方ビールを買って帰った。
ピールは血糖値のことからずいぶん飲んでいない。ついでに自分用のシャンパンを買っておけばよかったと思ったが、貧乏性の身としてはそのことに思いつかなかった。
久しぶりのビールで新車を祝い、ビールのうまさに感激してから、いつもの焼酎を飲み始めた。
いつもと違うのは、飲みながら何度か車を見るために立ち上がったことである。新車が来たときは見ているだけで楽しい気分になる。
一人酒盛りは、一人酒なのに「酒盛り」であるから面白い。
店長から「本日はいろいろお心遣いいただき、従業員一同感謝しております。シャンパンはあなた様のお気持ちを想いながらいただきます」とのメールがあった。
私の人生最後の車。私の気持ちが伝わったようだ。
今日の酒は一人酒ではなかった。店長と営業マンは自宅で飲んでいるはず。
私の最後の車を祝い、一人酒ではあるが、三人酒盛りの晩となった。(了)
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