先日いつものウォーキングの帰りに蕎麦屋を見つけたが、休業日なので日を改めて食べに行った。
もり蕎麦は1,000円、天ぷら蕎麦は1,950円。どこに行ってももり蕎麦が1,000円という時代になってきた。私の気持ちの中ではもり蕎麦は高くても600円である。
もりを食べて1,000円、天ぷら蕎麦を食べて2,000円となると、「ちょっとめしを食ってくる」、という値段ではない。
ラーメン店の倒産が続いているという話を聞く。近所では何店も開店しているのにどういうことなのか。
1,000円の壁ということがあるという。ラーメンの値段は1,000円以下という認識が消費者にあり、値上げすると客足が遠のいてしまうらしい。
大手チェーン店は新規開店するが、小・零細規模のラーメン店はコロナ禍以後の客離れ、仕入れ費や、光熱費の高騰、人手不足などで経営が難しいとされている。値上げできないとなれば倒産廃業以外にない。
チェーン店のラーメンはまずくはないがおいしくない。味にこだわる零細ラーメン店は残ってほしい。
しかしコロナによって遠のいた客足が、どうして戻らないのだろうかと思う。コロナによる自宅待機が、人々に節約とか無駄というものを改めて教えたのであろうか。
近所に隣接して大型食料品店が2店ある。後からできた店が安いから客はそちらの店に行く。
ここにきて先にあった店が大改装し倉庫販売のような店にして価格を大幅に下げた。
その店は土日ともなれば歩けないほどの客足である。店はそれを予知していたのか、店内は一方通行になっている。逆戻りを許さない。
まるっきり倉庫なような、店内を見渡すこともできない、買い物の楽しみというものを全く無視したレイアウト。こんな店で買い物などしたくない。
しかし「こんな店で買い物などしたくない」、と思えることは贅沢ということになる。できたらこんな店で買い物をしなくて済む生活を続けたい。
先日1杯440円のコーヒーを飲んだが、家で飲めば多分何十円くらいで、もっとおいしい。もったいないことをしたと悔やんだ。
大手のコーヒーショップが町から撤退した時、「あの店までなくなるなんて」と嘆いたが、じゃあその店に今まで10年の間に何回行ったか、と問われれば1回くらいしか行ったことがない。店の撤退を嘆く資格がないということになる。
東京の郊外の、高齢化の進む町に住んでいるから分からないのかもしれないが、日本は発展しているのか縮小しているのか。都心に出ると目を見張るばかりのビルや華やかな商業施設があるが、どういうことなのか。
孫がフランスに行ってから2週間が経った。モンペリエという町。素晴らしい町のようである。
パソコンで検索した以後、画面にはモンペリエの観光地の画像とホテルの紹介が載る。
フランスは農業国であると聞いたことがある。そんなに豊かな国ではないということらしいが、孫が連日送ってくる写真には人々の豊かな生活が写っている。
はるか遠いアジアの高校生を、大事な客として接していてくれているようだ。
あの青い目の青年が我が家に来た時、花を飾っておけばよかった。綺麗なテーブルクロスを掛ければよかった。もっとご馳走すればよかった。いろいろ思い返すことばかりである。(了)
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