ロボットは心も表現できる

つぶやき

朝の静けさの中、ふと気づくと、あの人の姿がない。
毎朝、我が家の前をゆっくり歩いて通るその人は、私にとってはもう日常の風景のひとつだった。

杖をつきながらも背筋はどこか誇らしげで、時折こちらを見て微笑むその表情に、私は密かに励まされていたのかもしれない。

けれど、ある日を境に姿を見せなくなった。
風邪でもひかれたのだろうか。それとも、どこか別の道を歩いているのだろうか――そんな想いを抱えたまま数日が過ぎた頃、近所の人から「介護施設に入られたらしい」と聞かされた。

そうか、とひと言つぶやいたきり、私はその朝の風景を思い浮かべていた。
ほんの少しの習慣が、人の心にどれほど静かに根を下ろしていたのか。
誰かの日常が、いつの間にか自分の支えになっていたことに気づくと、不思議と胸が温かくなった。

今も朝になると、つい玄関先に目をやってしまう。
そこに姿はないけれど、記憶の中ではいつも、ゆっくりとした足取りで通っていく。
あの静かな交流が、私の日々を照らしていたのだと今さらながら感じている。

 
 「我が家の前を何時も通る知人が介護施設に入ったらしい」というだけの入力で、コパイロット(マイクロソフトのAIアシスタント)がすぐに表示した文章である。

 この入力だけで、知人が介護施設に入所した経緯やその後の心境。お見舞いや応援の手紙。施設生活の様子をレポートする記事などに、内容と共にトーンもいろいろ変えられるらしい。

 利用する気はない。要は自分がどう考えるか、どう思うかということ。
 しかし自分の考えや思うことに何の意味もない。それならロボットでもいいじゃないかと思ったりするが、それじゃやっぱり意味がない。

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