西村元経産相の女性秘書に関する報道はいわゆる文春砲であった。
週刊文春の政治家や芸能人のスキャンダル報道は言論の自由なのか、プライバシーの保護なのか、いろいろ議論はあるが、言論の自由とは、国家の国民に対する義務のことである。政治家などの不祥事は大いに報道すべきである。
スキャンダル報道に関してよく覚えているものがふたつある。
ひとつはロス疑惑である。1980年代の初め、アメリカ合衆国ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件に関して、死亡者の夫であった三浦和義にかけられた保険金詐取を目的とする殺人事件ではないかとの疑惑である。
週刊文春が「疑惑の銃弾」として報道したことが発端となり、連日てんやわんやの大騒ぎとなった。
真実は誰にもわからない。疑惑が疑惑を呼ぶから人々の興味は尽きることがない。被害者である三浦和義氏の饒舌さは、かえって疑いを深めてしまったようだ。
三浦和義氏は自殺してしまったが、どういうことでの自殺なのかも判らないままであり、なんともやりきれない事件であった。ただ三浦友和より演技がうまいという評判だけ残った。
もうひとつは2014年に報道された「全聾の作曲家はペテン師だった!」である。
この話は全くひどいものであった。私は完全に騙された。あのNHKも騙された。というよりNHKによって騙された。
「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」は、2013年にNHKが「NHKスペシャル」で放送した、全聾作曲家佐村河内守を特集したドキュメンタリー番組である。
私も見たが、大変な天才が現れたものだと思った。しかし全聾は嘘、作曲はゴーストライターがしたものであることがバレてしまった。その報道も週刊文春であった。
よくもまあ「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」などと番組名を付けたものである。これほど情報の多い時代、情報の確認も簡単なことだと思うが、確認もせず看板番組ともいうべき番組に、でっち上げの感動なるものを放送した。
NHKがその後正式に謝罪なり反省を発表したのかは知らないが記憶にはない。
佐村河内守が作曲したという交響曲第1番なる曲を聞いたが、特別魂の旋律とも思えなかった。ところどころにいろんな作曲家が顔を出すような、きわめて普通の、悪く言えば通俗的な曲である。
これがそんなに素晴らしい曲なのかとは思ったが、全聾の作曲家ということに気持ちが動いたのかもしれない。
作曲家の人たちや、いわゆる文化人なる人たちはそろって賞賛の言葉を述べ、各地のオーケストラは競って演奏した。
CDは10数万枚売れたという。こういうことを何というのだろう。大政翼賛会と言うのだろうか。
ゴーストライターは新垣隆という桐朋音大で作曲を学んだ人であったが、彼が優秀な作曲家であったから佐村河内のペテンがなかなか露見しなかったということであろう。そういうことで佐村河内も少しは音楽が判っていたのかもしれない。
みんな彼のペテンに騙されたが、誰も実害を受けたわけではない。新垣隆氏はその後バラエティ番組にも出演し、決して人の軽蔑を受けることはなかったようだ。かえって人生が開けたようでもある。
やはり佐村河内のペテンに関して最も問題とされなければならないのはNHKである。民放のような低俗なエンタテイメントではなく、「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」なる題材を取り上げるのがNHKである、という自負がある。
その自負が低俗なエンタテイメントに見破られてしまった。この滑稽さをNHKは直視しようとしない。
また紅白の季節である。「白組、赤組。さあ今年はどちらが勝ちますでしょうか」などと、今でもこんな番組アナウンスをしているのであろうか。
人も変わればセンスも変わると思うが、いつまでも体に発疹が出るようなアナウンスばかりである。(了)
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