モラルは遠くになりにけり

つぶやき

 兵庫県の斎藤知事にはいろいろ考えさせられる。
 県の百条委員会は今回の報告書で、知事たちの行為を「告発者潰し」にあたると判断し、職員への叱責についても「パワハラと言っても過言ではない」と認定した。しかし斎藤知事は告発文書への対応に問題はないとの姿勢を変えない。

 報告書について知事は、「一つの見解」と言っている。しかしこれはちょっとひどい。百条委員会の意味を理解しようとしていない。捻じ曲げている。「一つの見解」ではなく「これしかない見解」である。

 斎藤知事は、「県民の皆さんがどう判断するか」と言うが、百条委員会の判断は県民の判断ではないだろうか。
 「違法性の判断は司法の場でされることだ」とも斎藤知事は述べている。しかし百条委員会というのは行政における規範の場である。司法と言い換えてもいい。

 「違法でなければ問題ない」という捉え方あるいは姿勢というものが、このところ政治の世界でよく見られる。

 違法すなわち刑事罰を受けて、議員資格や知事資格をはく奪されるようなことがなければ、なんの問題もないということである。
 自民党の裏金問題の時もそうであった。「我々は検察に逮捕されたわけではない」ということが身の潔白を言い表す言葉であった。

 良識ある見解は、「違法でなければ問題ないという姿勢は、行政を担う政治家として資質を疑わざるをえない」と述べるのが常だが、資質を疑わざるをえない政治家達で日本の政治は成り立っているように見える。

 モラルと違法性。古いテーマである。捕まらなければ何をしてもいい。突き詰めていくとそういうことになるのだろうか。

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